W杯や冬季五輪に見る「人権問題と主催者側の責任」

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猛暑に起因する心臓の不具合か、規制の緩い建設現場で多発した労働災害のいずれかにより、多くの人が命を落とした。カタール政府は当初、ワールドカップ施設の工事関連で死亡した労働者は3人だけだと述べていた。現在では、その数を修正し、37人が死亡したと認めている。

だが、その数字でもまだ、ガーディアン紙で報道された6500人という推定死亡者数や、ネパールの海外雇用委員会事務局が実施した調査の結果をはるかに下回っている。

にもかかわらず、FIFAのインファンティーノ会長は、カタール政府を労働慣行に対する批判から守るために手を尽くしている。ワールドカップ開幕の2週間前に、参加国の代表チームに送った書簡では、労働条件などの人権問題について声をあげるのをやめ、「サッカーに集中」するよう促した。

インファンティーノ会長は記者会見の場で、労働者搾取に対する外部からの批判は間違っており、不適切だと主張した。「私はヨーロッパ人だ」とインファンティーノ会長は語った(スイスとイタリアの二重国籍)。「道徳について説教をたれる前に、我々が世界中で3000年にわたってしてきたことに対し、これからの3000年にわたって謝罪し続けるべきだ」

だが、それはまったく違う。集団的な責任こそが、世界でも特に弱い立場にいる人たちを支援する手段になるのだ。そして、そうした集団的な責任は、第二次世界大戦の恐怖に対する集団としての反応や、基本的人権をめぐる基準の採用に根ざしている。

中国におけるウイグル人などのトルコ系少数民族にしても、カタールなどの湾岸諸国の移民労働者にしても、人権侵害を受ける立場にいる人たちは、国際的な注目や、外部からの改革の圧力を歓迎し、必要としている。被害者の苦境に世の関心を集め、当事者だけでは実現しえない監視の目が生まれるからだ。

そうした行動を支える責任を認識できない国際的スポーツ団体のリーダーたちは、自らの正当性に、そして自らが監督する試合に、害をなしていると言えるだろう。

forbes.com 原文

翻訳=梅田智世/ガリレオ

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