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2022.12.19

ダイエー創業者、中内㓛さん|私が尊敬するカリスマ経営者

ダイエー創業者の中内功(イラストレーション=フィリップ・ペライッチ)

セルフレジ向けの自動釣り銭機や貨幣処理機で国内最大手のグローリー。画像認識技術を応用し、ロボットによる自動化なども手がける姫路の名門企業だ。同社社長は、尊敬する経営者として、同じ関西出身のカリスマの名を挙げる。


私が尊敬するのは……

ダイエー創業者の中内功さんです。

日本が戦後の復興期から高度成長期へと移る過程で中内功さんは、小売業の慣行打破や価格破壊によって流通革命を起こし、時代を一気に駆け抜けられた稀有な経営者です。強烈な個性のなかに関西人としての愉快さももち合わせておられたと思います。

福岡ドームや流通科学大学というレガシー、そして何よりも「よい品をどんどん安く」という消費者第一の考え方は、いまも褪せることなくオレンジ色に輝き続けています。

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三和元純 グローリー 代表取締役社長

みわ・もとずみ◎1954年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、太陽神戸銀行(現・三井住友銀行)に入行。経済企画庁経済研究所への出向、米ニューヨーク駐在などを経験。神戸ビル管理常務取締役を経て、2009年、兵庫県姫路市に本社を置く通貨処理機のグローバルパイオニア、グローリーに入社。総務本部長、経営管理本部長、取締役専務執行役員、副社長などを歴任し、19年4月に代表取締役社長に就任。


“通王”とも“流通業界の革命児”とも呼ばれた総合スーパーマーケット・ダイエーの創業者、中内功が亡くなって17年。奇しくも今年は中内の生誕100周年にあたる。

革命児と評されたように、中内の経営は闘いの連続だった。初めて流通の世界に“安売り”という概念をもち込み、もち込むだけでなくそれを実行した。業界のあつれきは尋常なものではなかった。

「心配せんでもええ。俺らには安売りの神さん(神様の意味)と全国の主婦がついとるんや」

大手メーカーらとの激しい闘いのなか、名前も歴史も知名度も劣るダイエーの社員たちがひるむたびに、中内は火の出るような言葉を吐いては彼らを鼓舞し、自らをも鼓舞し続けた。

1957年、大阪・千林駅前にダイエー1号店を出す。中内35歳のときだった。店の屋号「ダイエー」の前には「主婦の店」という4文字が掲げられていた。買い物といえば商店街に足を運び、肉は肉屋、野菜は八百屋、魚は魚屋といった具合に一軒一軒を回らなければならなかった時代に、中内はひとつの店舗ですべてを揃えてみせた。しかも、安く。大量仕入れが安売りを実現させた。

翌年には神戸・三宮に進出。「主婦の店 ダイエー」の看板は関西から全国に広がっていき、80年には年間売り上げが1兆円を突破した。小売業界では初の快挙だった。創業からわずか23年。世間は中内を“流通王”ともてはやした。

“経営の神様”が相手でも一歩も引かず


しかし、安売りを極める中内に、商品価格の値崩れを起こすとして、メーカー側は、ダイエーに商品を卸す卸問屋に圧力をかけ始める。なかでも“経営の神様”といわれた松下幸之助率いる松下電器産業(現・パナソニック)との戦いは壮絶を極めた。

松下電器側は、ダイエーで自社製品のテレビが売られているのを発見するや、製造番号から卸問屋を割り出し、その問屋の締めつけにかかる。

「もうお前のところには商品を卸さない」

ところがダイエーは、ゲリラ的に商品を集めてきて、松下電器製テレビの安売りを続ける。訝(いぶか)しく思った松下電器社員が、製造番号を確認しようとテレビの後ろに回ったところ、驚きのあまり言葉を失ったという。製造番号が削り取られていたからだ。
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文=児玉 博

この記事は 「Forbes JAPAN No.099 2022年11月号(2022/9/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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