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キャリア・教育

2022.11.19 17:30

見た目もおいしい「嚥下食」を発信 食べる力の驚異的回復 #人工呼吸のセラピスト


しかし、呼吸の機能は回復せず、その後も感染性の肺炎を繰り返したことで、人工呼吸器なしに生活することができなくなってしまった。誤嚥性肺炎は防げても、右肺の上部がつぶれて、感染防御力が低下していたためだ。ひとたび肺炎になると、右肺のレントゲン写真は真っ白になった。

今の自分にできること 新ブログ「あおぞら日記」を開設


人工呼吸のセラピスト 押富さん
嚥下障害から回復し旺盛な食欲を見せる押富さん=2020年10月、名古屋市内で

そんな状況での「今の自分にできること」が嚥下食レシピの発信だったのだ。

2011年のほとんどを押富さんは病院で過ごした。寝たきりで床に足を付く機会もない毎日。ノートパソコンのスクリーンにキーボートを映すアプリを使ってマウスを操作しながら、記事や写真をアップしていった。

その発信へのこだわりを少し説明する必要がある。

もともとは2009年から始めた「大きな木の下で」というブログで、「おっしー」のハンドルネームで患者としての本音、喜怒哀楽をつづっていた。

信頼できる患者仲間に、思いを聞いてもらえることが主目的だった。自身の体験を整理して書き置いておく保管場所でもあった。

その場は、嚥下食のPRといった目的にはそぐわないため、新設したのが「あおぞら日記」。

実名で運営し、嚥下レシピのように広く知ってほしい情報、ユーモラスな小ネタなどを紹介する場にした。当時を知らない私にとっては、両方のブログを眺めることで、押富さんの患者・治療者の複眼が感じ取れ、貴重な場である。

冗談好きな母・たつ江さんは「私が普通食と嚥下食と二回も作るのは面倒だから、スパルタ式でやったの」と笑って振り返るが、押富さん本人が納得できる形でハードルを上げていったのだろう。

嚥下食を中心とした発信は、2014年ごろまで続いたが、次第に「家の外で体験したこと」の話題が中心になっていく。それまでに、咽頭分離手術の甲斐もあって「食べる力」は目覚ましく回復し、関心事が外の世界に広がったのだ。

実際に、私たちが2020年10月に名古屋の居酒屋でご一緒したときには、お刺身や子持ち鮎の塩焼き、鶏肉の山椒焼、レンコンとゴボウの煮物、とろろご飯といった和食コースを旺盛な食欲で完食していた。楽しむために頑張れる力を、そこに見た。


連載:人工呼吸のセラピスト

文=安藤明夫

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