「ナラティブ」は社会目線
バブル崩壊の爪痕の深いこの時期に、インターネットで起死回生を果たしたいくつもの事例を、海外の投資家向けプレゼンテーションに含めた。それを三木谷社長が「楽天の社会的な意義」として語った。
卵を抱える養鶏場のスタッフやヒナの成長の写真などを、単なる「にぎやかし」と切り捨てるなかれ。彼らの成功の物語を聞いているうちに、投資家たちが「自分もそんな卵だったら食べてみたい」「そんな店なら応援したい」「他のユニークな店も知りたい」と感じ始めたのだ。
そうなれば「物語」は企業のストーリーから、事業者のナラティブに変わり、そして社会のナラティブへと変わる。投資家も物語をつむぐ一員になり、これから世の中に起こる変化を自分ごとと捉えるようになる。
投資家が「自分ごと」として捉えられる物語が「ナラティブ」である。ストーリーと異なるのは、企業目線ではなく、社会目線であることといわれている。
こういったナラティブが、企業価値評価においても効果を発揮する。ナラティブの核である社会の課題の難しさや、社会に与える幸福の大きさが潜在市場の大きさだ。未来の物語と数字を連動して話せば、DCF(企業価値算出方法の一つ)における成長率の押上げとなる。
生卵が売れるならECで売れないものはない。生卵、着物、ペット用品……。次々に続く当時としては意外な商品を売る事業者の物語を耳にし、投資家が遠くを見るような目に変わるとき、それは彼らの脳内スプレッドシートで何かが起こっているときだったのだ。
最近の例ではSaaS系企業はどうか。一時に比べ評価が下がっているが、そこにもナラティブがある程度関係しているのではないだろうか。
利用者に一定額を払ってもらいながら、ソフトをアップデートし続けるという魅力もあるが、心もお金もある投資家がもともと評価していたのは、SaaSが日本の産業構造を変えるというナラティブだ。
B2BのSaaSなら、ユーザー企業の業務を飛躍的に効率化するだけでなく、そこで働く社員一人一人の働き方や働きがいも大きく変える。そんなナラティブに心もお金も動いたはずだ。効率化で「時間と心に余裕ができた日本の会社員」がナラティブの核で、企業の「本源的な価値」である。
そうしたナラティブが現在も有効であるか、ユーザー企業の評価をコツコツと調査している投資家も存在する。運用資産額の大きい投資家には、長期志向のお金の出し手がついていることも多い。余力があり、小型のグロース株の地道な調査にも時間をかけることができる。
だがそんな手間をかけられない投資家ももちろん多くいる。彼らは、多くの投資家が取引に参加するなかで形成される価格から、相場感を掴もうとする。ただ、それは冒頭でも書いた無機質な他社比較だ。
社会的価値が重要視されるようになった今こそ、ナラティブのIRを再始動するときだ。多少遠回りでもいい。彩り豊かなナラティブで多くの投資家の脳を揺さぶり、DCFを再計算させ、この株を「欲しい」と思わせる、そんな物語をつむぎだそう。