マーケティングしないマーケティングを選ぶ
糸井は、この現象は「アメリカで日本発祥の“枝豆”が広まったことに似ている」と話す。枝豆を広げようとするマーケティングはなく、ニーズに応えて売っている場所が増えていく。任天堂がアメリカで販路を拡充したのも、卓上のゲームの人気が出て「もっと仕入れられないか」という要望に応えた結果だった。
「こうした事例は『誰かが仕掛けたのだろう』と考えられがちだが、消費者自身が自己組織化したり、自己宣伝することによって広がっていった。ほぼ日手帳は、そんなことを思い出させてくれている気がします。つまり、『マーケティングすることだけがマーケティングではないんだ』と」
ある中華料理店が初めて「冷やし中華」をつくったときに、そのお店はマーケティングをして冷やし中華を開発したわけではなかった。その後、意識的に「売れるんじゃないの?」と考えた人たちがマーケティングというジャンルを開拓していっただけのことだ。
糸井はほぼ日のスタート前から、広告の世界では数々のヒットコピーを生み出し、時代を彩ってきた。だが、ほぼ日手帳ではあえて広告を使うことはなかった。
「マーケティングや広告を先に考えないやり方があるのではないか?」
例えば英語版のほぼ日手帳をスタートさせたときも、海外からのニーズに応じて開発したのではなく、日本のユーザー向けに「格好つけたい人は英語版が欲しいんじゃないの?」と考えたことから始まった。「なんか英語版を持ってると、格好いい」「英語版があると、世界中の人が使っている感があって面白いんじゃない。きっと外国でも売れるよ」その程度のアイデアからだった。それが、現在の展開につながっている。
今後もマーケティングを一切しないと決めているわけではない。ただ、「それを先に考えてしまうと狂ってしまうなぁ」という気持ちはスタッフの間でも強いという。
小売業全体に行き詰まり感があるなかで、ほぼ日はどのように生き残っていくのか。そのヒントは、会見中に糸井社長が繰り返していた「マーケティングしないマーケティング」にあるのだろう。