30U30

2022.08.27

挑戦しリセットする村岡桃佳、二刀流の極意

村岡桃佳(パラアルペンスキー選手、パラ陸上競技短距離選手)

「絶対に負けたくない」筋金入りの負けず嫌いが原動力


村岡は陸上競技の練習を始め、東京パラリンピック出場を照準に置いた。男子並みの練習で音を上げそうになるが、「勝負するからには絶対に負けたくない」という筋金入りの負けず嫌いが、村岡の原動力となった。


初めて参加した19年6月の日本選手権でT54クラスの女子100メートルでいきなり2位に入賞。その1カ月後のパラ陸上関東選手権・女子100メートル(T54)で日本新記録を樹立する。チェアスキーで培われた集中の仕方、道具を扱うセンスの良さが生きた。

国内で参加する競技すべてにおいて、好成績を残していく村岡。陸上競技でも着実に頭角を現し、東京パラリンピックでの活躍に期待が集まる。が、新型コロナの感染拡大の影響で、東京パラリンピックの開催が1年延期される。つまり、東京パラリンピックから北京パラリンピックまで半年の期間しかないことになる。

東京と北京の両パラリンピックに出場することは、傍から見ても無謀な挑戦だった。迷う村岡の背中を押したのが、同じ企業に所属する先輩パラアルペンスキーヤーの森井大輝の一言だった。

「桃佳なら大丈夫、できるよ」

1年半のブランク無敵の女王カムバック


陸上競技挑戦をスタートさせてから、1年半の間一切ゲレンデに行かない期間があった。小3でスキーを始めて以来、ここまで滑らない期間があったのは初めての経験だった。

1年半ぶりに雪斜面を滑走した。初めてスキーをしたあの頃に体感した爽快感と高揚感に包まれた。村岡がスキーへの思いをリセットした瞬間だった。

チェアスキーにカムバックした村岡の滑りには、強さと機敏性、さらに安定性が増していた。陸上競技の体幹強化がスキーの技術向上につながったのだ。また、新しい環境で過酷な練習に耐えてきたという自分への自信。弱音を吐く時の自分を支えてくれた家族や友人、仲間たちへ競技で報いたいという強い信念が、自分を一回りも二回りも精神的に大きく成長させてくれた。

1年半のブランクは決して無駄にはならなかった。挑んだ東京パラリンピックでは6位入賞、北京冬季では出場5種目で3つの金と銀メダルを獲得するという快挙を成し遂げた。

「東京パラリンピックに出たことで、絶対自分はもっと速くなれる、なってやる!って、自分の可能性を感じることができたので、北京が終わってどうするか考えた時に、二刀流という形でまた陸上にも取り組んでいきたいと自然に思えたのです」

2つの競技を通じて、アスリートとして競技へ向かう姿勢や競技の楽しさにも気づけた。次の目標は、2つの競技で自分の可能性を実現すること。パリに向けて、村岡の二刀流への第2の挑戦が始まった。

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むらおか・ももか◎1997年生まれ。4歳のときに病気の影響で車いすでの生活に。小2で車いす陸上、小3でチェアスキーを始め、中学2年生で競技スキーへ。その後の活躍は多くの人の知るところとなる。

文=中沢弘子

この記事は 「Forbes JAPAN No.098 2022年10月号(2022/8/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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