30U30

2022.08.27 17:00

挑戦しリセットする村岡桃佳、二刀流の極意

村岡桃佳(パラアルペンスキー選手、パラ陸上競技短距離選手)

日本発「世界を変える30歳未満」の30人を選出するプロジェクト「30 UNDER 30 JAPAN」。

スポーツ部門の受賞者である村岡桃佳(25)は、パラアルペンスキーとパラ陸上競技の「二刀流」で活躍するアスリートだ。4歳から車椅子生活となった彼女は、なぜ困難な道に挑戦し続けるのか。


「筋金入りの負けず嫌いなんです。そして、やると決めたら、周りに何を言われようがやり通すほど、頑固です」


パラリンピアンの村岡桃佳は、こう自身の性格について語る。夏と冬の競技の「二刀流」を成し遂げたのは、この負けず嫌いで頑固な性格が功を奏したのだと、自己分析する。

2021年9月、東京パラリンピックで女子陸上100m車いすに挑戦し6位入賞。半年という短期間の調整で、翌年3月開催の北京冬季パラリンピックではスキー女子滑降(座位)などで3つの金メダルと銀メダルを獲得。村岡は、前人未踏の夏と冬の競技の「二刀流」を成し遂げる。

世界屈指のパラアルペンスキーヤーとして活躍していた村岡は、なぜ困難な二刀流への道へ踏み入ったのか。そのきっかけとなったのが、18年の平昌パラリンピックだった。村岡は「自分の原点である陸上競技に挑戦したいという気持ちが強くなっていった」と、その当時の思いを打ち明ける。

人生最大の決断 陸上競技へ新たな挑戦


平昌大会では、5種目で金メダル1つを含むメダルを獲得し、一躍時の人となった。高校2年生で初めて出場した14年ソチ大会では、子供の時からの夢だったパラリンピックに出場できたことに満足していた。それから4年の間に、アスリートであれば誰もが目指す「メダル獲得」が最大の目標になっていた。

平昌では「絶対メダルを取りに行く」と心に誓い、競技に挑んだ。自分の予想を超えたスピードで目標を実現してしまったという村岡には、次に目指す頂きが当然まだ見えていなかった。

自分を見つめ直す中、見えてきた光景が、小学2年生の時に初めて取り組んだ車いすの陸上競技だった。コーチについて練習を重ね、大会にも出場していたほど好きで打ち込んでいた。が、小学3年生の時、たまたま参加したスキーのイベントをきっかけに、アルペンスキーのパラリンピアンと出会い、スキーの比重が大きくなっていく。

競技スキーの世界に誘われ、陸上からは自然と遠ざかった。道半ばでやめた陸上に対してくすぶる思いがあった。村岡は、「今なら再挑戦できるタイミングかもしれない」という思いを強くしていく。

それと同時に、平昌大会後のワールドカップや世界大会で「金メダル獲得」への期待が高まる中、自分を追い込み闘い続ける緊張感と重圧に、スキーに取り組む意味を見失い始めていた。

小学3年から「楽しい」という気持ちで滑ってきたスキーに対し、自分の気持ちがついていかなくなっていたことを感じた村岡は、スキーから一旦距離を置く決意を固める。そして、心機一転、19年春、陸上競技という新たな目標に向かって一歩を踏み出す。

陸上競技は、フィジカル面で求められるものがスキーとはまったく違うフィールドだ。「新しい環境に踏み入れることがあまり得意でない」という村岡にとって、そこへの挑戦は、人生の中で大きな決断の一つだったという。

次ページ > 筋金入りの負けず嫌いが原動力

文=中沢弘子

この記事は 「Forbes JAPAN No.098 2022年10月号(2022/8/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

ForbesBrandVoice

人気記事