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2022.09.07 12:00

スポーツは社会を変えられる。篠原果歩の思いを後押しした2つの出会い

篠原果歩(ローレウス・スポーツ・フォー・グッド財団職員)

篠原果歩(ローレウス・スポーツ・フォー・グッド財団職員)

スポーツが持つ力を、子どもたち、そして社会的に弱い立場にある人のために生かせないか。考えると同時に行動を起こした篠原果歩(29)。成果の一つが、東京パラリンピックの閉会式で行われた「I’mPOSSIBLEアワード」だ。篠原は20代ながら、このアワードをリードする役割を担っていた。

日本発「世界を変える30歳未満」の30人を選出するプロジェクト「30 UNDER 30 JAPAN」において、ソーシャルインパクト部門で受賞した篠原の行動力。その源泉を紐解く。


単身で世界に飛び出し、インクルーシブな社会の形成など、スポーツを通じた国際開発に挑む日本人女性がいる。ローレウス・スポーツ・フォー・グッド財団(スポーツを通じた社会貢献活動を展開するグローバル団体)職員の篠原果歩だ。

彼女は現在、プロテニス選手の大坂なおみがナイキ、ローレウスとともに発足させた「プレー・アカデミー with大坂なおみ」の国内プロジェクトマネージャーを務めている。同プロジェクトは、スポーツを通じた女の子のエンパワーメントを目的とする社会貢献活動で、日本とハイチ、米ロサンゼルスで展開している。

立命館大学に通っていた頃から、「スポーツを通じて豊かな社会形成ができないか」と考えていた。しかし、それを自身のキャリアと結びつける方法がわからないまま就職活動の時期に突入。そんな時、オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定した。

東京で開催される時、自分も最前線で活躍したい。そのためにはどうすればいいか──。指導教授に相談すると、筑波大学大学院への進学を勧められた。

大学院の修士課程でスポーツ国際開発を専攻した篠原は、IPC(国際パラリンピック委員会)の開発部門を担うアギトス財団のインターンに応募。2018年には日本人初のフルタイム職員となった。

組織再編により、IPC職員となった篠原は、東京パラリンピックの準備期間中にパラリンピック教育プログラム「I’mPOSSIBLE」の開発と30を超える国と地域での普及を担当。さらに、インクルーシブな社会形成に貢献した学校やパラリンピアンを表彰する「I’mPOSSIBLEアワード」を立ち上げた。

「2021年にローレウスに転職した後も、コンサルタントとして『I’mPOSSIBLEアワード』に関わり、東京パラリンピック閉会式でアワード式典主事や大会中の受賞者の帯同を行いました。子どもたちを競技会場に連れていくと、いろんな国のスタッフが話しかけてくれるんです。始めは私に通訳を頼んできた子どもたちも、次第に自分で話しかけるようになり、中にはフィンランドの外務大臣とピンバッジを交換した子もいました。大会後『インクルーシブな社会になるよう、活動したい』と手紙をくれた子もいました。未来を担う若者をスポーツでサポートするのが私の役割です」

日本の女子大生を変えたドイツ人女性


篠原は、「私は人に恵まれている」と自分を分析する。

「2016年当時、『東京オリンピックに関わりたい』という若者はたくさんいましたが、東京パラリンピックの方はまだそれほど多くなくて。東京開催なので日本人がいた方がベターという時代的な背景にも恵まれていましたね。そして、その時々に私を応援してくれる人がいて、励ましてもらいました。自分がやりたいことをアピールしていると、周りがつなげてくれるんだなと実感しました」

情熱と人との出会いで道を切り開いてきた篠原だが、「もともとは人見知りだった」という。そんな彼女を変えたのは大学時代のホームステイ先のドイツ人女性Ulrikeさんだ。

「彼女は、ドイツで女性の権利があまり認められていなかった時代に親に勧められた地元での結婚をやめて家を出たそうです。さらに大学進学して起業し、事実婚や出産を経験したという彼女の話は、当時10代だった私には衝撃でしたね。一緒に過ごす中で、自由に楽しく生きるその姿に影響を受けました。遊びといえば映画かショッピングだった大学生の私を自然の中に連れ出してくれたのもUlrike。今でもふらりと会いにいくほどです」。
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文=吉田 渓 写真=内田和稔

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