元新聞記者の精神科医が見た「護られなかった者たち」の水際

(c) 2021映画「護られなかった者たちへ」製作委員会


白井氏は将棋の元アマチュア名人。その理詰めの頭脳を活かして、国の「物価偽装」を解明した。基準切り下げの根拠となったデフレ調整(消費者物価が下がったから保護費も下げる)の算定の際、国が異なる計算式を使って低額になるよう統計操作をしたことを明らかにしたのだ。

しかし、判決は原告敗訴だった。石黒好美編著『わたしたちの「生活保護」』(風媒社)の監修をした白井氏は、判決文で生活扶助基準の改訂が自民党の政策の影響を受けた可能性を否定できないとしながら、「国民感情や国の財政事情を踏まえた」から構わないというくだりに憤る。

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『いのちのとりで裁判に学ぶ わたしたちの「生活保護」』(石黒好美編著、白井康彦監修、2021年10月、風媒社刊)

そして、行政や司法の使命感はどこへ行ったかと書き、上しか見られないヒラメの目になぞらえた「ヒラメ裁判官」の多い現状では人権侵害のチェック機能が働かないと嘆く。同感だ。

こうした政治行政の流れはコロナ禍と相まって精神の病気を抱える人たちにも影響を与える。当院に通う生活保護患者の実情を以下に紹介しよう。

「出所の翌朝、死にたくなっての来院」も


●財賀内造さんの場合

50歳手前の財賀内造さん(仮名、以下同様)がこの秋、クリニックを訪ねてきた。気分が落ち込んで辛いという。専門学校を出てからいくつもの仕事を転々としてきた。

「直近は介護の送迎ドライバーだったけど、コロナで利用者が減ってパートになった。時給1300円。給付金もすぐにはもらえないし」

ひとりっ子で独身。父は施設、母は3年前に病死し、頼っていた伯父伯母が立て続けに亡くなり、この夏から保護を受けている。仕事をしようにも、ハローワークまで足を運ぶ元気もない。

●水乃江蝶子さんの場合

これから保護申請するか悩んでいるのが40代の水乃江蝶子さん。幼少時、両親と兄から虐待を受けた。18歳の時、青信号で横断歩道を歩行中に車にはねられ、21歳で再びはねられた。23歳で結婚すると数年で夫に先立たれた。その後はひとり、水商売を続けてきた。

「コロナでお客さん減って、貯金もなくなっちゃう。両親とも年金暮らしで、父は認知症。家賃滞納して、いろいろ言われると生きることが辛くって。一晩考えたけど、これ(生活保護)しかないかなあと」

働こうとしても、これまでの人生の経歴が妨げとなる人もいる。

●塀尾越太さんの場合

7年前、30代の塀尾越太さんが予約なしで来院した。刑務所の医師が書いた紹介状を持っていた。病名は「覚醒剤依存症」。高校時代、最初に覚えたのはシンナーだった。そこから覚醒剤に進み、東京でホストを経験。フラッシュバックで精神科に入院した後、4回刑務所に入った。合わせて10年。出所の翌朝、死にたくなっての来院だった。

離婚した両親とは没交渉で、生活保護下で治療しながら仕事ができるようにしようと話した。解体業の派遣などにも挑戦したが、高度の貧血が見つかり、続かなかった。2年半通院したところで、ぱったり途絶えた。今、どうしているのか。

●足尾新太さんの場合

足尾新太さんは50代の独身。塀尾さんと同じ覚醒剤後遺症に悩むが、違いは足尾さんがかつて暴力団に在籍していたこと。

経歴から想像できないほど気が小さく、吃音が抜けない。しかし、どうしようもなくなると突然激高し、仕事を探しては辞めるを繰り返してきた。2年前、母親が突然死してからうつ状態が悪化、コロナ禍もあって昨年夏、生活保護申請をした。

半年後、虫歯で歯医者に行こうとしたら保護担当のケースワーカーが「ちょっとぐらいなら我慢して」と言ってきたという。医療扶助費を少しでも減らそうとしたのではと足尾さんに怒りがこみ上げた。それでも、なんとか爆発せずにすんだ。

家族ぐるみで当院に通うセイホ(生活保護のことを彼らはそう呼ぶ)の人たちも多い。共通する悩みは子どもの教育のことだ。
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文=小出将則

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