東大・京大卒の艱難辛苦を、早大卒精神科医が診るとき

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パソコンで「とうだい」と打って最初に出る変換は灯台と東大。「きょうだい」と打てば兄弟、京大だ。普通名詞化している東大・京大に入れば人生バラ色、と思われていたのは昭和の昔。もはや、最高学府を出ても充実した生活を送るのは簡単ではない。今回は当院に通う両大学出身者たちの艱難辛苦を紹介する。


東大文三 →引きこもり


ずんずんずん──二頭身の坊主頭に日の丸ハチマキを巻き、鼻息も荒く前進する学生の名前は、東大通(とうだいとおる)。これでピンとくる読者はアラ還世代だろう。社会批評漫画『ゴーマニズム宣言』で名高い漫画家小林よしのり氏のデビュー作『東大一直線』(週刊少年ジャンプ1976-1979)の主人公だ。

過熱する受験戦争を風刺したギャグ漫画で、試験で1点しか取れないのを1位と思い込んで東大入学を目指すストーリーは、ナンセンスで読む側を脱力させた。当時高校生だった私にとっても、勉強の息抜きのお供だった。

40代の東出一郎さん(仮名)。東大一直線の連載時はまだ幼稚園児だった。180cm以上ある高身長を活かし、中学高校と陸上部で走り高跳びをしながら、受験勉強に励んだ。現役の時は京大を受けて失敗。一浪して東大に合格した。社会学や心理学に興味があり、文三から教育心理に進んだ。

ところが、専門課程の3年に上がってからがいけなかった。「なぜだか教室にいるのが辛くなった」。

学生相談室でカウンセリングを受け、大学の診療センターで薬をもらい、2年留年後なんとか卒業した。Uターン就職で地元に戻り出版社に勤めたが、ここでも3年して「だんだん何も楽しくなくなった」。大学時代から始めた競馬やSF読書などの趣味もできなくなっていた。

3カ月休職しても回復せず、結局退職となった。その後は昼夜逆転の生活となり、持病のアトピー皮膚炎や潰瘍性大腸炎が悪化、長い引きこもり生活に入った。

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10年以上を実家でぶらぶらして過ごし、気がつくと厄年を越えていた東出さんは、「これ以上このままではいけない」と思い立ち、7年前に当院を訪れた。

診断は「回避性パーソナリティ」、障害者手帳を勧める


うつ病の背景として、すべてのことに消極的になる「回避性パーソナリティ」があると考えた私は、じっくり自分の性格と向きあうよう彼に勧めた。

「小さい頃から夢は無かった。東大という少し高いハードルを超したら、その先のキャリアがあまり意味を持たないように感じてしまった。入るだけでエネルギーを使い果たしたのかな」と、元ハイジャンパーは言葉尻が消え入るようにつぶやいた。

診察で指示したのは、朝7時に起きて散歩し、家事手伝いなどルーティンワークを続けること。当初は「ストレスに弱くなった。パソコンが急に重くなっただけでいらいらする」と訴えていたが、治療3年で昼夜逆転は改善し、得体の知れぬ不安や焦燥感はなくなった。

その後、東出さんにある提案をした。精神障害者福祉手帳を取得し、障害者雇用で働くよう勧めた。

手帳は長期にわたり日常・社会生活に制約のある、精神に障害を持つ人が対象。厚生労働省はHPで「手帳をもつことで、不利益が生ずることはありません」と明記する。しかし、実際に申請する段になると躊躇(ちゅうちょ)する人もいる。どこかで情報が漏れるのでは、という猜疑心が頭をもたげるようだ。

心を病む人への差別。とくに、東大を出た人間が精神障害と認定されることへの複雑な思いが彼によぎったのか──。
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文=小出将則

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