経済・社会

2021.08.27 17:15

東証の「場立ち」が消えて22年、兜町からなくなったものとは?

シンボルである回転式の大型LEDディスプレイ


「場立ち」には会社の垣根を越えた情や連帯感があった。「とんでもない値段で注文を取り次ごうとすれば、“おかしいんじゃないの”と他社から釘を刺された」。長く「場立ち」として勤務した証券会社のOBはこう振り返る。売買の担い手が機械ではなく紺ブレ姿の証券マンであれば、「誤発注」も起きにくかったのかもしれない。
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「築地と兜町には噴き上げるような熱気があったが、場立ちがいなくなってなんとなくさみしくなった」「場立ちの人たちがいた、にぎやかな街というイメージが頭の中にある」。「KABUTO ONE」の竣工式に出席した地元の東京・中央区や町内会の関係者はこう口をそろえた。

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地下2階、地上15階建ての新たなオフィスビル

渋沢栄一の合本主義


宮城・仙台に本店を置く七十七銀行もこの街の底流にある大切な価値観を体感してきた金融機関の一つだ。地方銀行でありながら東京証券取引所の程近くに日本橋支店(旧東京支店)を構え、多くの証券会社との取引関係を維持する。第七十七国立銀行時代の1894(明治27)年、株式売買の清算業務を行う「場勘業務」を東京株式取引所から単独で受託。それ以来、「シマの銀行」として一定の存在感を有する。
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同業務の受託には、同行と親交のあった渋沢栄一の口添えがあったという。さらに、1890(明治23年)の株価暴落で東京株式取引所が経営危機に直面した際、第七十七国立銀行が緊急融資に踏み切ったのも決め手になった。「義理と人情に厚い兜町の気風は、このときの恩義を忘れなかったのである」。七十七銀行が1984年に発行した『東京証券取引所と七十七銀行-九十年にわたるその歩み―』には、こんな記述がある。

株式売買も現在は高頻度取引(HFT)が主流。コンピュータ売買が幅を利かせ、ディーラーでは容易に太刀打ちできなくなった。「売買のデジタル化や無機質化が進み、義理や人情といった世界とはかけ離れていく」(ストックボイスの岩本氏)。

平和不動産の土本社長は「地元の町内会の人たちが神輿を担いで竣工をお祝いしたいと言ってくれた。今後も手を携えながら活気のある街にしていきたい」などと意欲をみせる。街づくりを通じて新しい物を取り入れつつ、失ってはならない大事なものをいかに次代へ残していくのか。倫理観に基づいて資本主義ならぬ合本主義の実現を追求した渋沢栄一の生き方に、カジ取りのヒントが隠されているようにも思える。

文=松崎泰弘

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