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2015.05.21

「住みます芸人」が地方を変える!吉本興業が挑む異色プロジェクト




「お笑いの総合商社」「日本最大の芸能プロダクション」と言われる吉本興業。
この巨大企業が2011年にスタートした47都道府県「住みます芸人」プロジェクト。
創業100年の老舗企業が、この先100年を見据えて挑む、新たな「座標軸」とは。


「財務部に聞いたら、2億円だったら持ち出しでも大丈夫、という返答が返ってきたんです。じゃあ、やろうか、と」
吉本興業代表取締役社長、大﨑洋は2011 年にスタートした異色プロジェクト、47都道府県「住みます芸人」発動の経緯についてこう語る。
きっかけは10年の暮れも押し迫った12月末のこと。毎日のように通っていた本郷、白山通りの銭湯のサウナの中での岡本昭彦(よしもとクリエイティブ・エージェンシー代表取締役社長)との他愛もない会話だった。
「地方の若者が就職難だ、というNHKのニュースを2人でぼーっと見ていました。お笑いやエンターテインメントって産業を生むわけでもなく、雇用を創出するわけでもなく、俺らホンマにアホやからあかんなー、って」
一方で吉本興業には東京や大阪で芽のでない、若手の芸人が山ほどいる。
「あの子たちに、田舎を聞いて、まだ実家に子ども部屋が残っていたら、そこを『吉本興業○○事務所』として活動させてみてはどうか、と岡本と冗談で言い合ったんです」
岡本がサウナを退室した後、1人残った大﨑は新幹線の窓から目にする地方の風景を思い出していた。大﨑は、農業や林業以外に、地方の人たちがどのような仕事をして、どのように食べているのか、具体的に思い浮かべることができなかった。東京や大阪での芸能活動を主とした仕事が、いわゆる普通の暮らしから大きく乖離していることを感じた。
岡本がサウナに再び戻ってきた時、大﨑は「これ、やってみよう」と言った。岡本は即座に「明日、財務に確認します」と答えた。
それから1週間も経たない、1月4日にはホームページに募集概要をアップした。思わぬ反響があり、応募は1万通近くに上ったという。面接をし、47都道府県のエリア社員と、芸人を選んだ。彼らの中には、その地が出身の者もいれば、全く異なる土地や、都市部の出身者もいた。
内定が決まり、入社を待つ同年3月11日には東日本大震災があった。「4月1日が彼らの入社式でした。一人一人発表をさせたら、胸を張って堂々とスピーチをするんです。『地元で、地域の人たちとがんばりたい』と。中には涙ぐむ新入社員もいて、私自身も熱いものがこみ上げてきました。悪徳企業と名高い吉本の社内に、一陣のさわやかな風が吹いたようでした(笑)」

100年の老舗企業、上場廃止の理由

大﨑洋は09年、代表取締役社長に就任した。大阪証券取引所に上場して60 年、東京証券取引所に上場して48 年目を迎えた老舗企業はこの年、クオンタムリープ、放送局、創業家資産管理会社など14社が出資する投資会社「クオンタム・エンターテイメント」(代表はクオンタムリープ代表の出井伸之)によるTOBを実施し、株式上場を廃止する方針を発表した。

「これからの日本経済は右肩上がりでは決してない。これまで通りのTV局の広告収入には頼れない、と思っていました」
非上場を決意したのは、安定株主の元で経営を行い「張れるところには張ってやろう」という思いからだ。
「その時から、3つのキーワードが頭にありました。デジタル、地方、アジアです。上場を廃止してから6年間、このキーワードを軸に勝負してきました」
サウナ内での「会議」で大﨑の頭に去来したのは、激しく変化する外部環境に対応する形での、これからの吉本興業の新しい「座標軸」の模索にほかならない。
それでは、大﨑が目指す「住みます芸人」のゴールとは何なのか。事業戦略、収益モデルについて明確に描くシナリオはあるのか。返ってきたのは、意外な答えだった。
「そんなものは、ありません」

米国最大手のタレント・エージェンシーCAAとの提携、上海メディアグループSMGとの共同番組制作など、海外事業を積極的に展開するほか、ユーザーが動画を投稿することもできる、相互参加型エンターテインメント動画配信サービスYNNの運営など、芸能プロダクションの枠を超えた事業を展開、百年企業の近代化を進めてきた大﨑だが、しかし、その思想の根本には、1980年代、彼自身が社員時代に味わった大阪・戎橋のたもと、心斎橋筋二丁目劇場での「場」の体験があるという。照明、衣装、芸人、舞台に関わるすべての人にボルテージの高い「場」を提供する。自然派生的に才能が集まり、芸が芽生える。それこそが、吉本興業の企業としての機能の原点ではないか、と。

二丁目劇場は、ダウンタウンや今田耕司、千原兄弟など現在の吉本興業の屋台骨ともいえるタレントを輩出した。
「マーケティングでは明石家さんまやダウンタウンは生まれません。必要なのは装置としての『場』なのです」
今、その「場」をつくるのは、ほかならぬ47都道府県に送り込まれたエリア社員たちであり、芸人たちだ。
「まず、その土地に住むこと。そして信用してもらうこと」。大﨑が47人の新入社員と芸人に課したのは、地域に入り込んだ地道な営業活動だ。彼らは、新人研修もそこそこに地方に送り出され、会社から渡された名刺と、タレントは売り込み中の芸だけを持って、知事や市長、観光協会の会長、シャッター街と化した商店街の店を一軒一軒回り、営業する。与えられるのは、エリア社員の給料のみ。住む場所や家賃も彼ら自らが探し、負担する。

「一生懸命です、彼らは。うちは『吉本興業』という古めかしい名前ですが、機能としてはエージェントです。年収3,000円のタレントから10 億円のタレントまで、それぞれがみんな個人事業主なんです。そういう意味で人生がかかっている、夢をもっている、勝負がかかっている。気合が違うんです」
大﨑が指示した地道な営業活動は、着実に実を結んでいく。11 年のプロジェクトスタート当初はアルバイトと掛け持ちしていた「住みます芸人」たちも、今ではほぼタレントの仕事だけで生活できているという。
静岡県の「住みます芸人」カズ&アイは、お祭りの司会を中心に地域の人たちと関わりを持ってきた。ラジオのスポンサー探しに、タウンページを開いて地元の企業へ足を運び、営業をかけた。結果、19社との契約が取れた。地域の人たちとコネクションをつくるならば商工会議所のメンバーになることがよいとアドバイスを受け、静岡県商工会青年部に入った。「お笑い芸人が幹事をやるなら」と、普段は交わることのない、静岡東部の3市、三島市、沼津市、伊豆の国市の商工会メンバー80人の交流会も実現した。
「交流したい、きっかけが欲しい」
カズ&アイが地域の人たちと密接に関わって感じるのは、彼らのそういう思いだ。「僕たち芸人は地域の活性剤としての『よそ者、若者、バカ者』の三拍子を揃えているのかもしれません」

道化師が、地方の困難を打開する

大﨑の「住みます芸人」プロジェクトへの狙いは、地方という「場」を若者に提供し、笑いの共通体験を与えることにより、これまでの既成概念を壊し、大きな垣根を飛び越えることだ。
「有名な炭鉱の話があります。働き者の9人と、皆の笑いを取ったりして、一向に働かない1人の労働者がいる。経営者はその1人をクビにしてしまうんですが、するとなぜか一気に生産効率が下がる、という話です」
吉本興業全体が、このピエロの役割だと、大﨑は言う。きっかけや「場」づくり、膠着する地方の突破口としての、道化師だ。
「それぞれの地方には、その土地特有のローカルな笑いがあると思います。中央の『勝ち負け』とは全く異なる“ものさし”があると思います」

地方中心市街地の空洞化を受け、13 年1月に撤退した沼津駅前の西武百貨店の跡地に、昨年7月オープンした「沼津ラクーンよしもと劇場」。静岡県「住みます芸人」の4組がほぼ毎日出演する。芸人と交流できるカラオケ大会や、地元パフォーマーが舞台に上がれるオーディションなどを企画すると大いに盛り上がり、リピーターも増え、常連客は友達感覚で訪れる。

「大阪でも、銭湯や町工場で近所の人が声をかけ合って落語家と漫才師をより集め、子どもが座布団を並べる『アットホーム寄席』というものがありますが、有名な芸人でなくても、カラオケ大会で一緒に歌う、という単純な共通体験でものすごく盛り上がります。これは、笑いのニーズが一体化している、笑いが心のインフラになっています」

シェアする笑いの高揚感。そういうものがとても重要なのだ、と大﨑は言う。
「高視聴率を目指す、資本主義的なとんがった笑いとは全く異なる、ごく身近な、シンパシーとしての笑い。吉本興業としてはその両方を手がけていかなくてはならないと思っています」

103年目を迎える吉本興業が次の100年を目指す、新たな「座標軸」とは。
Publicな笑いの可能性―。大﨑の口から出たのはそんな言葉だ。今年で7回を数える吉本興業主催の沖縄国際映画祭では、地元のお年寄りから、思わぬ感謝を受けた。学校教育になじめず、ドロップアウトした若者もイベントでは生き生きと働く。沖縄の人たちのメンタリティに、「別の座標軸」の可能性を感じる。そして、大﨑の沖縄への熱い視線の先には、躍動するアジアがある。

真摯な若者たちを引き寄せる吉本興業の底知れぬパワーの根源は、頭脳明晰なスタッフでも的を射たマーケティング戦略でもない。100年以上も落語家が舞台で使う毛氈を探し回り、毎日どう客席を埋めるかに思考を巡らせてきたそのどろっとした吸引力のある装置だ。その社長である大﨑が口にする「Public」という言葉には、深みがある。
「延々と通って、つきあって、やっていかなければいけないという、地べたの仕事みたいなのが僕らの基本です。少しずつイニシアティブをとれてくるというか、入り口に立てたような気がしています」

フォーブス ジャパン=文 江森康之=写真

この記事は 「Forbes JAPAN No.9 2015年4月号(2015/02/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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