80年代の未来のコンピューター
お笑いの世界も「第8世代」が話題になり、21世紀生まれのデジタルZ世代の動きも気になるが、古い世代としては40年前に世間を騒がせた別の5Gを想い出してしまう。それは1982年から10年間にわたり、当時の通産省が主導して540億円をかけ、新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)が行っていた「第5世代コンピュータ」(以下、第5世代)という国家プロジェクトだ。
なぜ第5世代かと言えば、当時はコンピューターをハードウェアを構成する素子を元に世代別に分類し、第1世代は真空管、第2世代はトランジスター、第3世代は集積回路(IC)、第4世代は大規模集積回路(LSI/VLSI)などとしていたせいだ。それに合わせて、プログラミング用の言語も、機械語、低水準言語、高水準言語と通常の言葉に近い形に進化していった。
第1世代とされるのは1946年に公開されたアメリカのENIACが最初で、真空管1万8000本で構成され、毎秒千回程度の演算速度(0.01MIPS)で、1964年にIBMが発売したICを組み込んだ第3世代のシステム360では100万回(1MIPS)と、10年程度で世代が交代し、素子が新しくなるごとに処理速度が数十倍規模で向上していった。1980年代は第4世代が始まったばかりで、速度は1億回(100MIPS)レベルに達していた(現在のパソコンはその1000倍、スパコンでは1000万倍程度になっている)。
第5世代のプロジェクトでは、こうした当時最先端のコンピューターの次の世代が1990年代に始まると考え、それはどんなものになるかが研究の対象となった。1982年頃に使われていた大型コンピューターは国内でやっと10万台程度。給与計算や事業計画などの事務作業や科学技術の計算に使われ、小型のオフィス用コンピューター(オフコン)も普及が進み、ワープロや表計算ソフトが出たばかりだった。
こうした中で、最先端のソフトとして注目されていたのは、1970年代から始まった第2次AIブームの中心ともなった、専門家の知識をルールとして記述して特定の分野の問題を解く「エキスパート・システム」だった。医療診断(Mycin)や化学分析(Dendral)、石油採掘などの分野で一定の成果が上がったことから、コンピューターに知識を処理させる「知識工学」なる言葉も作られ、より多くの知識をデータベース化していけば、いずれは人間の能力を凌駕するAIが出現するとの期待感が高まっていた頃だ。
当時のコンピューターやソフト開発の中心はアメリカで、IBMのシステムが世界の8割を占めており、やっとパソコンやファミコンのようなゲーム機が市場に出たばかりだったが、まだ世の中の中心は大型の汎用コンピューターで、科学計算用には機械の性能を極限まで高めたスーパーコンピューターが注目を集めていた。