実現しなかった見果てぬ夢
この第5世代は当初、内外から大きな注目を集め、1981年10月に開かれた最初の国際会議には全世界から多くの参加者が押し寄せ、その後の国際会議も取材したが業界は一種のフィーバー状態だった。時代はこの前も書いた通り「ニューメディア」が喧伝されたデジタル化の時代で、こうしたプロジェクトが21世紀という未来を描く希望のように思えたのだ。
しかしニューメディア同様に、このプロジェクトが目指している世界は、バラ色の夢を語る話に脚色されていたが、具体的にイメージするのが難しいものだった。開発者や研究者が目指していたのは、おおざっぱに言えば、当時のエキスパート・システムを超えた高度なAIを実現するためのプログラミング言語(Prolog)や、それを動かすのに最適なコンピューター(並列処理型)を作ることだったのだが、それで具体的にどんなことができてメリットがあるのかのイメージが描けなかった。人間と会話して何でも高度な仕事をしてくれる、というだけではSFの夢物語だ。それはINSが次世代のデジタル・ネットワークを実現すると便利な生活が実現すると主張していたのとさほど違いがなかった。
コンピューターやAIやデジタル・ネットワークは、INSが「いったいなにをするのか」の略だと悪口を言われたのと同じで、当時売り出されたパソコンも、ゲーム以外に何をするのか具体的にイメージできない高いオモチャのように扱われていた。それは専門家のテクノロジー開発目標としては立派な話だったが一般人には理解不能だったのだ。
蓄音機を音楽メディアではなく遺言用にしか使えないと考えたエジソンや、ショッピングやソーシャルな付き合いのためではなく核戦争から通信を守るためと考えられたインターネットのように、新しい発明に関わった人には現場で使われるまではその意味は見えてこないものなのだ。
ファウゲンバウムは著書の中で、こうした日本の動きを、まだアメリカと比べたら子どものような日本の研究者の「ユダヤ人の成人式」のようだと形容し、日本にはテクノロジーの天才は生まれず、「キモノを着たものまねネコ」しかいないとまで言っているが、こうした動きと関係なく80年代はバブル経済のおかげで日本企業は世界のトップを走ることになる。
しかし第5世代は国内で評価されないまま、停滞するアメリカ経済のカンフル剤として使われ、その後はハイビジョンでも同じような日本排斥論争が行なわれ、次第に恐竜のような大型コンピューターが哺乳類のようなパソコンに凌駕され、90年代にインターネットが始まると、日本のこうした話は失われた10年の象徴のようになってしまった。
結局、通産省が支援して成果を上げたのは半導体のようなモノ作りだけで、ソフト開発や情報化のビジョン作りなどは、民間の世界的な市場競争によるイノベーションに勝てず、それが現在ではGAFAの支配する世界を許してしまったとも言える。
Koshiro K / Shutterstock.com
第5世代は時代が生み出した徒花で、具体的に見える成果が少なく、国家予算の無駄遣いのように非難されているが、こうした未来を見据えたビジョンに若い研究者が参加して作られた人的ネットワークは見えない形で引き継がれている。モノ作りも大切だが、まだ見ぬ未来を想像する力を皆で喚起することは、今後のネット社会を考えるためにいまこそ必要なことかもしれない。
連載:人々はテレビを必要としないだろう
過去記事はこちら>>