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2015.05.16 09:00

地方の明暗をわける「京都化」vs.「大阪化」




「地方のことは地方に任せよ」。10年以上前から繰り返されるステレオタイプの論調だ。
しかし、地方に任せると、2つのパターンが見えてくる。それが「京都化」と「大阪化」である。


もっとも激しく人口減少を経験した町をご存じだろうか。年間1 万3,000 人が減る秋田県が甘く見えるほど、どん底に転落した過去があるのは京都市である。
明治の遷都により、京都市域の人口は、わずか4 年間で33 万人から22 万人に激減した。壊滅的な被害を被ったのが、繊維、窯業、工芸品などの地場産業だ。公家や町人を中心とした人口流出により購買層を一気に失ったのだ。
その京都が、なぜ、京セラ、ワコール、日本電産、島津製作所、オムロン、村田製作所といったイノベーティブな世界企業を生む町に変貌したのだろうか。ここに地方再生のヒントがある。実は、再生に成功した地方都市は、京都と似たプロセスを歩んでいる。これを私は「京都化」と呼んでいる。
明治期に京都府知事はどん底から脱出するために、大胆な公共投資を行った。人を集めるために市電を開設し、水事業により工業用水とエネルギーを確保した。現在、世界からコンパクトシティの成功を称賛されている富山市も似ている。「ライトレール」と呼ばれる欧州式のモダンな市電を敷くことで、中心地に人と機能を集約し、車社会から徒歩で生活できる町に転換させた。中心地に人が戻ったことで、地価の下落にストップをかけたのだ。
公共交通への投資は「税金の無駄遣い」と批判を浴びがちだが、富山市の森雅志市長は「想像をはるかに超える寄付が、市民や企業から寄せられたことには本当に驚きました」と言う。寄付額は4億円超。重要なのは、旗振り役が訴える「危機とビジョン」の説得力。そして、行政任せにせずに、次世代のために一緒になって町をつくろうという住民の熱意である。
住民の熱意の背景にあるのは、帰属意識だ。帰属意識は、伝統文化や芸術が一役買っている。独自の文化をもっているというプライドが、一体感につながり、危機意識の共有に変化する。

「京都化」の次のポイントは、斜陽産業は昔は最先端技術の集積だったということだ。時代環境の変化で古びたのなら、よそ者や若者の知恵で柔軟に修正すればいい。大学都市である京都は、若者とよそ者が多い。伝統技術を進化させるために、地域そのものがインキュベーターの役割を果たしているのだ。窯業からセラミック技術を進化させた村田製作所。鹿児島からやってきた稲盛和夫の京セラ。こうした企業は地域とのつながりが強く、本社機能を東京に移していない。

一方、住友や伊藤忠から日清食品、ローソンまで、大手企業が本社を東京に移すたびに、「地盤沈下」という嘆きが聞こえてくるのが、大阪市である。大阪が「東洋一の商都」と呼ばれたのは戦前。その後、戦災と郊外化で人口と事業者数は減っている。多くの経営者が「改革」を政治に求める一方で、面白いデータがある。
坂本光司法政大学大学院教授らが2011年に発表した「47都道府県別幸福度ランキング」で、大阪は最下位だった。労働・企業、安全・安心、医療・健康など客観的な数値を指標にしているのだが、大阪大学が住民を調査した「主観的な幸福度」で、大阪は平均値を上回る(『日本の幸福度 格差・労働・家族』日本評論社)。つまり、庶民はいまが幸せだと思っていて、誰もが変化を求めているわけではないのだ。

ここに地方再生の難しさがある。危機意識が高い大阪経済界は、首長選挙のたびに改革派の候補者を担ぎ出す。最初は大胆な改革を打ち出して盛り上がるが、次第に足並みがそろわなくなり、足の引っ張り合いに発展して尻すぼみになっていく。
大阪の魅力でもある「懐かしい雰囲気」は、変化を拒み続けてきた時間の堆積でもあるのだろう。そう考えていくと、実は大阪を嗤うことはできない。なぜなら、日本の地方都市は、ほとんど「大阪化」しているのだ。

藤吉雅春(Forbes JAPAN)

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