私たちは、日々、さまざまな状況に出合います。いいこともあれば、悪いこともある。気分が晴れ晴れとすることもあれば、腹に据えかねることもあるでしょう。いずれにしても、それにとらわれたら心が大きく乱れます。
「あんな言い方しやがって! あの野郎、このままにしちゃおかないぞ!」心に吹き込んできた“怒りの風”に反発し、抗(あらが)おうとしている姿です。とらわれている。これでは頭がそのことでいっぱいになって、心は乱れたまま硬直化してしまいます。
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もちろん、喜怒哀楽という感情は、人間らしさそのものですから、湧き上がってくるのにまかせておけばいいのですが、それをなんとかしようとするから、跳ね返してやろうと考えるから、いつまでもそこから離れられなくなるのです。
大地に打ち込まれた杭は、固定化され動くことはありません。どんなに強風が吹いても、その場で風に抗するしかありません。しかし、風が更に強まっていけば、いつかはポキリと折れてしまうかもしれません。
一方、竹は風の強さに合わせてしなやかに撓(たわ)み、どんな強風の中でも決して折れることはありません。そして、風がやめば、スッとまっすぐに伸びた本来の姿に戻ります。風が吹くにまかせ、やむにまかせているのです。
そのときどきの思いや感情に「動かされない」でいようとする必要はありません。浮かぶに任せ、消えるに任せ、です。
それがとらわれない姿。そこに気がついたら、「力み」がなくなり、「いま」に集中し、心はずっとやわらかく、しなやかになります。
さあ、「無心」にグッと近づいていきましょう。