また、「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」という禅語は、余計なことを考えず、お茶をいただくときには、お茶を飲むことだけに集中して、ご飯をいただくときにはご飯を食べることに集中しなさい、という教えです。
一見、「あたりまえ」のことですが、その「あたりまえ」のことを大切に、丁寧に実践することで、「いま」「ここ」だけに集中する。そうすることで余計な不安や悩みを抱えないように、心が整っていくのです。
心配事の「先取り」などせず、「いま」「ここ」だけに集中しましょう。ポイントは、減らす、手放す、忘れる──。そうすることで、もっとラクに、のびのびと、前向きに生きている自分に出会うことができるでしょう。
感情は浮かぶに任せ、消えるに任せる
いつもイライラしてしまう、すぐにクヨクヨしてしまう……。どうすれば、もっと上手に感情をコントロールできるのか──?
そのためには、「無心」でいることです。無心であれば、感情に振り回されることはありません。ものごとに一喜一憂することもなく、気持ちはいつだって平穏です。
しかし、無心でいることは容易なことではなく、なんとも難しい。坐禅をしているときも、「無心に座らなければ……」という思いが強いと、かえってそれにとらわれる。「何も考えちゃいけないんだ」「心を空っぽにしなくては」ということばかりが頭の中で堂々めぐりをしてしまうのです。
坐禅をしていたって、さまざまな思いが浮かんでくるのは止めようがないのです。浮かんできた思いはそのまま放っておけばいい。すると、自然に消えていってしまいます。浮かぶにまかせ、消えるに任せる。それが「無心」に近い心の在り様です。
水に一石を投じると、さざ波が立ち、波紋が生まれます。その波紋をなんとか沈めようとして手を水に入れたら、さらに複雑な波紋が生じる。放っておけば、しだいに波紋は静まっていき、やがては鏡のような水面が戻ってきます。
心も同じことでしょう。「雲無心(くもむしん)にして岫(しゅう)を出(い)ず」という禅語があります。文字どおり、雲はなにものにもとらわれず、風が吹くままに形を変え、いざなうままに動いていきながら、雲であるという本分を失うことはない、という意味。まさに、無心を現じているのです。