退屈を忘れた人に必要な「空白の時間」と「エッセンシャル思考」

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また、ある国際的なIT企業の副社長は、週に35時間もミーティングをしていると嘆いていた。あまりにミーティングばかりしているので、まともにものを考える時間がない。自分のキャリアも企業の展望も見えないまま、目の前の瑣末な問題に追われ、いつ果てるともしれないプレゼンや議論にどんどん時間を奪われていく。

何事も、まず選択肢を調べないことには、本質を見極めることはできない。

なんでもかんでも引き受けて忙殺されてしまう“非エッセンシャル思考”の人は、とにかく目の前のことに反応する。

聞いたばかりのチャンスに飛びつき、読んだばかりのメールに返信する。だが、本当に重要なことはほんの一握りしかないと知っている“エッセンシャル思考”の人は、すぐに飛びついたりしない。調査と検討にたっぷり時間をかけることを選ぶ。

あのニュートンも2年間引きこもっていた


集中は向こうからやってくるものではない。だから、集中できる状況に自ら飛び込んでいくことが必要なのだ。

また、集中とは、単にひとつの問題を考えつづけることではない。エッセンシャル思考における集中とは、100の問題をじっくり検討できるだけのスペースを確保することだ。それは目の焦点を合わせる作業に似ている。ひとつのものに固執せず、つねに視野全体を把握して焦点を調整するのである。

私の知り合いに、優秀なのに注意散漫な会社役員がいる。いつ見てもツイッターとGメールとフェイスブックといくつかのチャットを同時に開いているような人だ。集中するためにインターネットの線を抜いてみても、やはりスマートフォンやら何やらでサイトを見てしまう。

あるとき重大なプロジェクトに追われていた彼は、思いきってインターネットのつながらない安宿に泊まり込むことにした。携帯電話も持たず、まったくのオフライン環境だ。

そこで2カ月過ごした結果、いつになく効率的にプロジェクトを終わらせることができた。そこまでやらなければならないのも考えものだが、彼のやったことは間違っていない。自分の力を最大限に発揮するためには、誰にも邪魔されない環境が必要なのだ。

あのアイザック・ニュートンも、万有引力を論じた主著の執筆に際し、2年間ほとんどひとりきりで引きこもっていたらしい。近代物理学の基礎となる偉大な理論は、その孤立した場所から生まれた。リチャード・S・ウェストフォールによる伝記には、次のように記されている。

「どうやって万有引力の法則を発見したのか、との問いに、ニュートンは『考えつづけていたんだ』と答えた。……考えつづけるといっても、並大抵のレベルではない。彼はそのことだけを、ひたすら考え抜いていた」

ニュートンは集中するためのスペースを確保し、そこで宇宙の本質を追究しつづけたのだ。
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