最も古い基礎教養科目としての音楽
パフォーミング・アートとしての音楽には職人的な訓練も要求されるが、音を扱う学問としての音楽(音学?)は古代ギリシアの時代から、学問の中の学問として必須科目だった。
最近は国立大学を中心に、文学部などの文系の学部が社会に役に立たないと不要論が出され、文理の区別をせずにリベラルアーツ(教養)を復権させるべきだという論議も話題になっている。
ラファエロ「アテナイの学堂」(serato / Shutterstock.com)
教養と言うと、専門分野を深める前の入門段階を指すように聞こえるが、もともとは古代のギリシアやローマで教えられていた学問と呼ばれるものの原型を指す言葉で、リベラルは自由を意味し、(奴隷ではない)自由人として生きるための素養を意味していたものだが、日本では当初これに「芸術」という訳語を充てたため、アーチスト教育のように受け取られている面もあった。
リベラルアーツは中世以降の学問の基本とされ、現在では「自由七科」とも訳されており、文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽の7つの学問ジャンルからなる。それらのうち、最初の文法、修辞、弁証はいわゆる言語に関わる文系の素養で、3科(trivium:トリウィウム)と分類され、その複数形のトリビアは雑学や常識を指す言葉の語源にもなっている。
そして残りの「科学の4姉妹」とも言われる4科(quadrivium:クワードリウィウム)は、7科を統合する哲学に通じていく理系の学問だが、算術、幾何、天文に混じって、なんと音楽が入っている。なぜ音楽が理系の基礎学問なのか?
順番に見ていくと、まず算術の基本は数を数えることから始まり、数の比も扱う1次元の世界。そして幾何は2次元の量を対象にする。そして天文は天体の運行を理解するための3次元的な数学的構造を扱う、算術と幾何学の応用だ。
万物が数であると主張するピタゴラス学派は、音の高さや調和(ハーモニー)を数学的な構造が現実に反映したものだと考え、数と宇宙を結び付けている基本が音楽だと主張した。つまり宇宙に象徴される自然界の構造は数学的な論理を反映したもので、それは琴の弦を分割すると音の高さが変化して調和するのと同じ原理に支配されていると考えたわけだ。
天体の動きを見ていても、何の音楽も聞こえてはこないが、ここで言う音楽とは心地よい楽曲と言うより、音楽という喩えで人間が感覚的に世界を理解しようとするメタファーだ。
Marina Sun / Shutterstock.com
そして16世紀以降の科学の発達の中で、有数の科学者たちはアリストテレスや聖書の教えから離れて、自然界を数学的な方法で解明しながら、物事の関連の調和を音楽的な発想で解析していった。
デカルトやケプラー、ニュートンに始まり、オイラー、ヘルムホルツ、リーマン、アインシュタインに至るまで、優秀な哲学者や科学者(当初は自然哲学者と呼ばれた)たちは、音楽に傾倒し、音の調和と自然現象の調和のアナロジーを駆使して理論を構築してきた。
音の発生から複数の調和のメカニズムを探る音楽的な研究は、波の周期や形状を数学的に体系化することにつながり、さらにそれが光の色や干渉や屈折などの現象解明の際にアナロジーとして使われ、次の時代には電気や磁気の電磁波としての振る舞いの理解にも応用され、ついには原子や電子の構造解明にまで連なった。
音という物理的現象の数学的な理解が、それ以外のありとあらゆる自然現象の体系を考えるヒントとなり近代科学全般に影響を与えたとなると、音楽を単なる楽しみの道具と考えるのはあまりに狭い見方であることがわかるだろう。