ソロモン:私の脳の一部は、そのほうがいいと言っています。なぜなら、誰かを刑務所送りにすると決めることの苦労が少し減るからです。しかし、それは正しいことではありません……私たちが向き合わなければいけないのは、国家によって身柄を拘束された人間です。国家は、ひとりの人間から自由を奪う理由を正当だと説明しなくてはいけない。ですよね? でも対面しなければ、彼らは小さな機械のように扱われてしまうかもしれない。
よく知らない他人に対応するための私たちの戦略には大きな欠陥がある。が、それは社会的に必要なものでもある。私たちは、刑事司法制度、雇用プロセス、ベビーシッター選びがより人間的であることを望む。しかし人間性を求めるというのは、膨大な量のまちがいを許容することを意味する。それが、よく知らない他人との対話に潜む矛盾だ。私たちは彼らと話をする必要がある。でも、話すのがひどく苦手だ。くわえて、私たちは「ひどく苦手」であるという事実を互いにつねに正直に打ち明けようとするわけでもない。
ソロモン:私の脳のほんの一部が「そうそう、相手を見ないほうがより簡単さ」と言っているのだと思います。しかし実際には、私のことを見ている人がいて、私も彼らを見ている。たとえば被告人側の弁論の間、傍聴席の家族が私に手を振って合図してくることもあります。家族三人がそこで裁判を見守っているのです。それが、正しい裁判の在り方です……ほかの誰かの人生に影響を与えている、とつねに心がけておくことが大切です。軽く考えてはいけません。