問題は、感情面の負荷が大きい状況になると、なぜ戦略が切り替わるのか、という点だ。
考えられるのは、そうした状況では、人間の意識が闘争・逃走反応のような状態になり、ひたすら自分の身を守ろうとするせいで、論理が消滅してしまうという可能性だ。必需品の買いだめも、身を守るためのひとつの方法なのかもしれない。
あるいは、なんらかの理由から、体験談やエピソードに頼るほうが「安全」だと感じている可能性もある──
もしかしたら、公式な勧告よりも正しい内部情報を手に入れたと思ってしまうのかもしれない。もちろん、それは論理的なことではないが、まさにそこがポイントだ。ストレスにさらされた状況では、論理が敗れ、自分が優位に立てそうな情報が少しでもあれば、それにすがってしまうのだ。
「我々には、面白味のない事実よりも、文脈のほうを記憶しやすい傾向がある」と指摘するのは、ニューヨーク市を拠点とする心理コンサルタントのスザンヌ・ロフ(Suzanne Roff)博士だ。「そして、体験談はある意味で、ものごとの本質について、より深い見識を与えてくれるように感じられることがある。たとえ科学的な知見に根ざしていなくても、その威力は大きい。おそらく、ストレスにさらされているときには、合理的な解釈を犠牲にしてでも、自分にとっての真実を探し求めることがデフォルトになるのだろう」
メカニズムはどうあれ、この現象は、私たち人間にごく一般的に見られるもののようだ。パニックを起こしやすい人間の性質に抗い、どんな状況でも事実を守りとおすのは不可能かもしれない。だが、そうしようと努力するのは、誰にとっても望ましいことだろう。たいていは、人間の(非生産的な)傾向を認識しておくだけでも、それを乗り越えるための最初の一歩になる。