「ライフウェア」ユニクロ
ユニクロは、商品企画から生産、物流、販売までを自社一貫で行うことで高品質・低価格を実現してきた。フリース、ヒートテック、ウルトラライトダウンなど、低価格で機能性の高い商品が人気を博している。
社名の由来は「ユニーク・クロージング・ウェアハウス(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)」の略。コンセプトは、「あらゆる人の暮らしを、より豊かにすることを目指す、普通の服。」として「ライフウェア」という言葉を13年から掲げている。
この考えを伝えるため、19年8月に創刊された「LifeWear magazine」は、元「ポパイ」編集長で、ファーストリテイリングでクリエイティブディレクターを務めている木下孝浩が担当したことでも話題を呼んだ。
カジュアル衣料への展開
柳井は、早稲田大学卒業後、ジャスコ入社を経て、1972年、山口県にある父親の会社「小郡商事」に入社。小郡商事は土木建設業と洋服店を営んでおり、柳井は洋服店を任された。
当時の中国地方は、広島県福山市に本社を構える「洋服の青山」など、紳士服の激戦区。柳井は他社との差別化を図るため、ユニクロはカジュアル衣料を展開していった。
80年代半ばに、香港でカジュアル専門店「ジョルダーノ」を創業したジミー・ライに出会い、同世代である彼の活躍に刺激を受けた。また、ジョルダーノをきっかけにSPA(製造小売業)のビジネスモデルを知り、日本でSPAチェーンを展開することを決意した。
ユニクロ誕生
ユニクロ第1号店が誕生したのは、1984年6月、広島市。学生の登校前にも来てもらえるよう、開店時間を途中から10時から6時へ変更。こうした工夫から徐々に知名度を上げていった。
98年に原宿に出店した時には、当時高価格だったフリースを、低価格の目玉商品として売り出し成功を収めた。99年にはファーストリテイリングとして東証一部に上場。
2003年には東レとの共同開発で、発熱・保湿するインナー・ヒートテックが誕生し、ヒット商品へと成長した。09年には暖かさと軽さを実現したウルトラライトダウンを発売。新たなユニクロの目玉商品となった。
ユニクロの世界進出
ユニクロの最初の海外店舗であるロンドン店は、01年にオープンした。02年には上海市、04年にはニューヨークに出店するなど、世界進出を続けている。08年の、ヒートテックの巨大自動販売機を世界各都市に設置するプロモーションは、ユニクロのブランド力を世界へ向けて更に発信する機会となった。
19年11月末の時点で店舗数は1400店舗を超え、20年3月には、ベトナムで2店舗目となるハノイに新店舗がオープンした。19年10月時点で柳井の資産は3.4兆円にのぼり、日本では1位、世界27位の富豪となった。