2006年には、ノーベル平和賞を受賞した彼の功績と現在を紹介する。
ノーベル賞受賞
ムハマド・ユヌスは、1940年バングラデシュ生まれ。74年の大飢饉で、祖国バングラデシュの貧困層の窮状を目にし、貧困層の支援活動を決意した。
76年に、当時勤務していたチッタゴン大学に隣接したジョブラ村にて、貧困層をグループ化して融資を行う貧困救済プロジェクトを開始。しかし銀行の融資が受けられなかったため、83年に「村の銀行」を意味するグラミン銀行を創設。
無担保で小額の資金を貸し出す「マイクロクレジット」という融資方法で、貧困層の自立を支援した。
借り手の大半は女性で、資金を元に竹細工や陶器作りといった様々なビジネスを展開。この取り組みが大きく評価され、2006年にグラミン銀行とともにノーベル平和賞を受賞。
現在は教育、医療、エネルギー、情報通信など、多分野に渡って社会問題を解決する関連企業「グラミン・ファミリー」を世界中で50社以上経営している。
貧困層救済を目指した、ふたつのビジネス
ユヌスが貧困層救済のために確立した、ふたつの金融サービスがある。「マイクロファイナンス」と「ソーシャルビジネス」だ。
マイクロファイナンスとは、貧困層に対して無担保で小額の融資や保険の支援を行い、貧困層が経済的に自立することを目指す金融サービス。サービス開始当初は「マイクロクレジット」と呼ばれていたが、グラミン銀行の支援は、融資以外にも保険や貯蓄の支援にも広がったため、マイクロファイナンスと呼ばれている。
もうひとつ、ユヌスを象徴するキーワードが、彼がノーベル平和賞受賞式典で初めて使用した「ソーシャルビジネス」だ。ソーシャルビジネスとは、利益の最大化ではなく貧困や教育といった社会問題の解決を目指すビジネスのこと。
経済的な持続可能性を目指し、投資家には投資額を上回る配当は還元されず、社員の福利厚生や自社への再投資に回される。
この仕組みは企業のCSR活動とも、非営利団体であるNPOやNGOとも異なるシステムとして世界中で注目を集め、グラミン・グループは、ダノンやインテル、アディダスなどとソーシャルビジネスの合弁事業を展開してきた。
日本とムハマド・ユヌス
ユニクロやGUを展開する「ファーストリテイリング」は、10年にグラミン銀行とともにバングラデシュでソーシャルビジネスを開始。11年にはグラミン銀行との合弁会社「グラミンユニクロ」を設立した。
ファーストリテイリングの重要な生産拠点のひとつであるバングラデシュで、現地雇用の創出や従業員が安心して働ける環境づくりを提供している。
18年には、ユヌスと「吉本興業」が提携し、「ユヌス・よしもとソーシャルアクション」を設立。吉本興業が11年から進める「あなたの街に“住みます”プロジェクト」の発展を目指している。
同プロジェクトは、芸人が同社のエリアスタッフと共に地域に住み、地域課題と向き合いながら町おこしを目指すもの。エンターテイメントとソーシャルビジネスのコラボレーションに注目が集まっている。
グラミン銀行総裁職解任、逮捕状の背景
ユヌスは07年に、一時政界に入ったが、バングラデシュ首相のシェイク・ハシナ・ワゼドと対立。11年にはグラミン銀行総裁職を、役員定年である60歳を超えたとして中央銀行から解任された。
19年10月には、会長を務める情報技術会社「グラミン・コミュニケーションズ」の従業員の解雇をめぐる出廷命令に応じなかったとして、ユヌスに逮捕状が出た。
一連の背景には、国内外で高い評価を受けているユヌスを脅威に感じたハシナ首相が、政治的な圧力をかけているのではないかと海外メディアは報道。その他、脱税や名誉毀損の疑いなどもかけられ、グラミン銀行は現在、ハシナ首相が指名した経営陣によって運営されている。