しかし、そのアッカド帝国はわずか200年という短い期間で消滅した。学術誌「ジオロジー(Geology)」に掲載された論文によると、その背景には気候変動があったようだ。
中東では年に数回発生する「シャマール」と呼ばれる強風が大規模な砂嵐を引き起こしている。アッカド帝国の首都テル・レイラン周辺の当時の気温や降雨パターンを分析するため、日本の北海道大学の研究チームは、オマーン北東部の海岸に津波の影響で流れ着いた3000~4600年前のハマサンゴの化石のサンプルを調査した。
ハマサンゴは霰石という炭酸カルシウム(CaCO3)を使って石質の骨格を形成する。サンゴに含まれる炭素や酸素の化学的特質や同位体特性を研究することで、海上の気温を推定し、さらには周辺の降水量と蒸発量のバランスを確認することができる。
その結果、アッカド帝国が滅亡した約4100年前の冬のメソポタミア地域は、極度に乾燥し、寒冷な気候だったことが分かった。
ここから推測できるのは、天候不順が作物に深刻なダメージを与え、飢饉や社会不安を引き起こしていたことだ。弱体化したアッカド帝国は周辺の部族の餌食となり、侵略により滅亡したと考えられる。
アッカド帝国の滅亡と同じ時期に世界規模の干ばつが起こり、複数の文明が破滅した「メーガーラヤン(完新世後期)」と呼ばれる時代が始まったとされている。