「カミさんが身体の中にいる、だから生きている」世界一破天荒な夫を救った、妻の腎臓


あるとき、テレビをつけると、南部氏を除いた3人が「ダチョウ倶楽部」として出演しているではないか。これが事実上のクビ宣告だった。

仲間と仕事を一度に失い、自信をなくした南部氏の心の支えとなったのは、妻の由紀さんだった。2人が出会ったのは、ダチョウ倶楽部で奮闘していた時代で、まだ静岡県下田の高校生だった由紀さんが、友人に連れられてライブを観に来たのがきっかけ。年齢差、18歳。純朴な由紀さんがとにかくかわいくて、自然と恋心を抱いたという。

「僕が36歳、由紀が19歳のときから付き合いはじめて、1990年に結婚しました」

甘い新婚生活……とはいかなかった。ダチョウ倶楽部を脱退した南部氏は、ニート状態。同年、電撃ネットワークを結成するも、月の稼ぎは雀の涙だった。由紀さんは下田に暮らし、別々に暮らす日々が続いた。

「たくさん稼いでカミさんを食わせなきゃと必死でした。ようやく一緒に住めるようになっても、新居は風呂なしの鍵がかからない6畳一間。あの頃は貧しかったですね」

由紀さんも、外で働いて家計を支えた。代々木駅前のおじいさんが営む小さな中古カメラ屋で、大好きなカメラに囲まれて、この笑顔。「あんたんとこの娘はよく働くね」と評判の看板娘だった。



転機は、92年、デーブ・スペクター氏からアメリカで勝負してみないかと提案されたこと。同氏より「TOKYO SHOCK BOYS」の名をもらうと、南部氏は妻を日本に置いて、世界中を飛び回るようになった。

「『亭主元気で留守が良い』ってカミさんが思ったかって? 僕にはわからないです」

そうはぐらかしながら、いつも持ち歩いているという結婚写真を見せてくれた。

「僕らに子供はいません。だからかな、ケンカもなく穏やかな関係」

由紀さんは今もカメラ屋さんに? と尋ねると、「それがね」と南部氏。

「あれは、カメラ屋のオーナーが他界して、店を畳むことになった、8年前のこと。『私、もう仕事したくない。“ヒモ”みたいにあなたにくっついて生きていく』とか言い出して引退したんですよ」

8年前といえば、南部氏が初めて不調を訴えた頃だ。病を抱える夫を気遣って、そんな言い方をしたのでは……と推察してしまう。

このとき、南部氏の足は左足が象のようにむくみ、足の甲は腐ったように変色していた。診断名は、「2型糖尿病」。体の組織が局所死した「壊死」の状態まで病気は進行していた。


南部虎弾(なんぶ・とらた)◎1951年、山形県鶴岡市生まれ。ダチョウ倶楽部元リーダー。電撃ネットワークは92年、41歳でTOKYO SHOCK BOYSの名前で世界進出。「サソリ食い」「ドライアイスのむさぼり食い」「蛍光灯のケツ割り」など、英語ができなくても通じる過激パフォーマンスをオランダ、インド、韓国、豪州、スペインなどで披露した。

文=もろずみはるか

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