「うちのカミさんはすごいマメな人で、僕の検査結果のデータはすべて保管してあるんです」。そう言いながら、テーブルに並べたのは、外来時に渡される検査結果表、服薬中の薬、障害者手帳など、プライベートなものばかり。本名もバッチリ書いてある。
「個人情報まで共有いただき恐縮です」と伝えると「いいんです」と笑顔。なにもかも包み隠さず開示することで、「腎臓病に苦しむ患者さんの生きる選択肢が増えればうれしい」と、南部氏は取材中に何度もそう言った。
中学時代は特殊学級で過ごし、イジメに悩んだ
山形県鶴岡市に生まれた。映画『おくりびと』のロケ地である「鶴の湯」から“20歩”の場所にある自転車屋が南部氏の実家だ。6人兄妹の2番目。内向的な性格で、中学では特殊学級で過ごした。
「集中力が続かない子、と言えばなんとなく伝わるでしょうか。僕はそんな子らと波長が合い、よくつるんでいました。それが気にくわなかったのか、一般学級の子からイジメられるようになりまして。道を歩けば笑われるし、石を投げられて頭から血を流したこともありました」
南部氏は自身の人生を「はみだし人生」と呼ぶ。しかし、そこに悲しみや怒りは感じられない。
「人生には良いときと悪いときがありますから」
地元から抜け出したい一心で群馬高崎の大学に進んだ。しかし大学4年で就活を放り出しフランスへ(その後中退している)。現地で懸命に取り組んだのは、ボランティア活動だった。知的障害者を支援したり、いらなくなった服を回収・洗濯して、必要な人に無料で届ける日々を3ヶ月続けた。
「誰かの役に立てるのが、ただただうれしかった」
意外な副産物もあった。自分は将来何をしたいのか、その輪郭がぼんやりと見え始めたのだ。ボランティアのバッジをつけていると映画、舞台、イベントなどがタダになるという特典をフル活用して片っ端から芸術鑑賞するうちに、エンタテインメントの世界に関心を寄せるようになったという。
“ダチョウ倶楽部時代”に、最愛の人と出会う
1985-87年の2年間、南部氏が、ダチョウ倶楽部のリーダーを務めたことをご存知だろうか。南部氏だけ脱退することとなった理由は、方向性の違い。
若く尖っていた南部氏は、大御所芸能人に生意気を言って困らせたという。
「お笑いらしいお笑いをやってないのに、『お笑いの帝王』って呼ばれるのはおかしくないですか?」
これは、かのタモリさんにぶつけた言葉だ。
「キミ、面白いねぇ」。
いかにもタモリさんらしい返しをされ、で、図に乗った。
売れっ子映画監督、人気俳優にも失礼な物言いをし、中には顔を真っ赤にして怒る人もいたという。
なにも大御所の地雷を踏んで歩かなくても……。メンバーの肥後・寺門・上島の3人は、リーダーの振る舞いを良く思わなかった。