彼は日本を代表するビジョンや才能の持ち主30歳未満の30人を選出する名物企画「30 UNDER 30 JAPAN 2019」のソーシャルアントレプレナー部門を受賞した。
大学を中退し、縁もゆかりもなかったカンボジアの社会問題に7年に渡って取り組んできた山勢。彼を突き動かす動機とは──。
閉塞感のある日々に自由をもたらしたカンボジア
山勢のかつての日本での生活は閉塞感に満ちていた。中学高校はキリスト教系の共学の一貫校だ。男女は別校舎で過ごし、廊下だけ共通。男女交際は禁止で、厳しい校則だった。大学受験を間近に控えた高校3年時には後輩とトラブルを起こし、進学先への推薦も取り消しになった。
閉ざされた学校生活に生き辛さを感じる毎日。そんな彼に転機が訪れたのは2012年12月だった。東日本大震災から約1年が経ち、医療支援を中心とした認定NPO法人ロシナンテス理事長・川原尚行の講演が校内で開催されたのだ。
川原は、北東アフリカのスーダンに外務官兼医務官として赴任した時のエピソードを語った。現地の路上ではあちこちに人が倒れており、餓死寸前の子どもも数多くいたという。だがスーダンはアメリカに「テロ支援国家」と認定されているため、医務官としてでも医療行為を施すことは禁止されていた。そこで川原は、医務官を辞めて単身でスーダンに渡り、個人として現地のスーダン人を治療するようになった。
「こんなに“大きい人”がいるんだと衝撃でした。『医療行為をする怪しい日本人がいる』と警察に捕まったそうですが、医療行為の目的を問われた川原さんは『俺は日本男児だから』と答えたらしくて。相手からすると意味がわからないですよね。さらに言葉の真意を伝えるため、スーダンの警察官を福岡県の実家に連れてきて1週間ほど泊まらせたんです。すごく器量の大きい人だと感動しました」
講演後すぐ、山勢は川原のところへ行き「力になりたいです」と伝えた。すると、東日本大震災後にボランティア活動をしていた川原から「東北の現状を見たらいいよ」と言われた。最後の大学受験の試験が東京で終わった後、その足で宮城県・名取市に向かった。そこでボランティア活動をした2週間は、山勢の将来を変える大きな出来事になった。
「ボランティアスタッフの人達と一軒家で共同生活をしながら、夜な夜な夢を語り合う時間は楽しくて仕方なかった。『ボランティア活動で生計を立てたい』『起業して会社を大きくしたい』とみんなの話を聞く日々は、僕にとってすごく刺激的でした」