──もともとそういうタイプだったんですか?
いえ、今振り返ると、かなり気にしていたと思います。東京に出してもらって良い大学行かせてもらったから、大企業で頑張らなきゃとか、総合職だからこう、女性だからこう、服装はこの程度、などなど。当時は気づいていなかったけど、かなり消耗していましたね。
息子とチームメイトたち。スポーツは大事な共通語。
──私も振り返ってみて、自分の意思で決めた選択だと思っていたことが、そうでもなかったんだって感じることはあります。周りの「このくらいの大学行ったらこのへんに就職するだろう」という期待値があるから、限られた選択肢の中から選んでいたんだと。
性別や学籍などの属性で、選択肢を自分で狭めるクセがつくんですよね。でも、日本社会の外に出ると、何者でもない。それを辛いと思うか楽だと思うかで言うと、私は楽に感じる方だったんだと思います。
日本を出た頃のことで、強烈に覚えている出来事があります。初めての海外暮らしで、英語もダメで日々メタメタにされていた頃、こんな自分でも何かできるという実感がとにかく欲しくて、日本人が運営しているNPOにボランティアに行ったんです。
そこにいる人たちは、年齢も経歴も見かけもバラバラでしたが、共通していたのは、仕事の話も趣味の話も濃い人ばかりだったこと。みんな生き生きとしてて…。帰り道、「面白い!と思う気持ちを我慢しないで生きているって、カッコいいなあ」ってしみじみ思えて、その瞬間、ボロボロゆで卵の殻が剥けるような感覚になったことを覚えています。日本人でも型にはまらない、こういう世界もありなんだ、と思いましたね。