テクノロジーに追いつかない倫理 NZテロに見る現代社会の問題

ジャシンダ・アーダン首相がクライストチャーチに訪問した際の様子(Photo by Kai Schwoerer/Getty Images)

白人至上主義者のテロリストが先日、ニュージーランドで起こした銃乱射事件は、テクノロジーによって密接につながった現代社会が抱える中心的課題を私たちが解決できていないことを示している。技術の急速な進化に伴う文化面の影響に対処するためには、心理学に基づいた生涯倫理教育を同じく急速に進める必要がある。

元ネオナチのクリスチャン・ピッチョリニーニが自著の中で指摘しているように、ヘイトスピーチは、アイデンティティーやコミュニティー、目的を求める人の中で根を張り、暴力を生み出す。端的に言えば、先進国では21世紀の技術文化に合った「アイデンティティーやコミュニティー、目的」の体験が十分に提供されていないのだ。

これは非常に複雑な問題だ。しかしその構成要素の一つは、人々がコンピューター画面の前で孤立している一方、世界の誰とでも好きにつながることができるという矛盾にある。この矛盾状態はコミュニティーの感覚を生むが、コミュニティーの責任は生まない。誰かと完全な関わりを持つことの複雑さと影響が薄れ、共感を持つ機会は消滅する。

だが共感は、憎しみを抑制したり止めたりするために必要な摩擦を生む。よって、共感がなくなれば憎しみは増大する。ネット上での憎しみの共鳴が、グローバル化や環境難民の増加、世界を「自分たち」と「あいつら」で分けて考えがちな人間のくせと組み合わさると、有害で暴力的な環境が生まれる。

この心理にはまた、変化と不安の関係も影響している。変化により機会だけでなく不安がもたらされるというのは紛れもない事実だ。問題なのは時に、不安や恐れが大き過ぎることだ。中には、変化によって機会も生じていることを忘れてしまう人もいる。そしてアイデンティティーやコミュニティー、目的が見つからない場合、人は不安に支配される。常に変化している現代では、非常に多くの人が、自分は変化によって失うものばかりで得るものは何もないと感じてしまう。

不安と恐怖に支配された人は、不安を鎮めるためなら、どんなに破壊的な行為であっても実行する。それが、白人至上主義を信奉するテロリストになることであっても。これこそ、私たちがノルウェーや米国のチャールストン、シャーロッツビル、ピッツバーグ、そして今回ニュージーランドのクライストチャーチで起きた惨事から学んだ悲劇的な教訓だ。こうした事件の背景にあるのは、変化を暴力でつぶそうとする白人男性の怒りだ。
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編集=遠藤宗生

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