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2018.12.25

ユーチューブ共同創業者が語る原点、絶えない好奇心とPayPalマフィア

ユーチューブ共同創業者 チャド・ハーリー

2005年、チャド・ハーリーは友人2人とともにあるサービスをつくりだした。インターネット上に動画を投稿できるサービス「ユーチューブ」だ。いまでは想像することすら難しいが、容量制限で動画をメールで送ることができず、オンラインストレージサービスもなかった十数年前、動画を他人と共有する手段は、DVDメディアなどに焼いて手渡しで共有する以外なかった。

2005年にリリースしたユーチューブは瞬く間にスケールし、わずか1年後の2006年にハーリーらはグーグルに16億5000万ドルで売却。その後もハーリーは2010年までユーチューブのCEOを続け、退任後はエンジェル投資家として活動している。

ユーチューブ創業以前はインターネット決済サービス「PayPal」の初期メンバーであり、ピーター・ティール、イーロン・マスク、マックス・レフチン、リード・ホフマンらとともに、シリコンバレーで大きな影響力を持つ起業家集団「PayPalマフィア」に数えられるハーリー。

そんな彼が12月5日、国内最大のコワーキングスペース企業fabbitが開催するスタートアップの為のイベント「fabbit Conference」に登壇。東京会場及び全国のサテライト会場でイベントに参加した2500人を超える日本のアントレプレナーに向けて、メッセージを送った。

ユーチューブを立ち上げてわずか1年でユニコーン企業に成長させた人間の頭の中とは? また、エンジェル投資家となった彼は現在、ユーチューブをどう見ているのか?

トラスト・キャピタル代表取締役社長の藤井ダニエル一範氏と、ボードウォーク・キャピタル代表取締役社長の那珂通雅氏がモデレーターとなり、チャド・ハリー氏に行った公開インタビューをレポートする。


「とにかくずっと、何かをつくりたいという思いがあったんだ」

藤井:まず、ペイパルマフィアになるまでのことを聞かせてください。

ハーリー:私はアメリカの東海岸ペンシルバニアの出身で、小さな頃から芸術とテクノロジーに関心をもっていました。高校を卒業するまでは、電子部品の設計をよくしていたんです。大学で勉強したコンピューター・サイエンスはテクニカルな部分こそとても楽しかったものの、昔から好きな芸術やデザインとの間で、どちらをとるべきかジレンマに陥りました。

しかし、常に頭の中では何かをつくることばかり考えていました。それがコンピューターなのか鉛筆なのかはわかりませんが、私はたくさんの人を感動させるものをつくりたかったんです。

1999年に当時ドットコムブームだったカルフォルニアで、小さな暗号化の会社に勤めました。のちのPayPalとなる会社です。とにかく、あらゆる仕事をしましたね。すぐ近くでイーロン・マスクも働いていて、いま振り返ればとても興味深い時代でした。

その後、ドットコムブームは崩壊しましたが、幸運にも私たちは生きのびて上場し、PayPalは世界最大のオークションサイトeBayに(2002年に15億ドルで)買収されたのです。(編集部注:PayPalマフィアのメンバーはこの買収で多額の資本を手にし、それがユーチューブ、リンクトイン、テスラ等の起業資金になったと言われている)



藤井:eBayに買収されてからは、何をしていたのですか?

ハーリー:買収後1年くらいはeBayにいましたよ。この頃も含め、PayPalの仕事は本当に面白い体験でした。しかし私は大企業で働きたいわけではなく、何かをつくりたかったんです。

だからeBayを辞めて、新たに挑戦することを探しました。1年以上の休暇を取って、これまでの活動を振り返ったり、新しいアイディアを模索したりしたんです。その時、スティーブ・チェン(後のユーチューブ共同創設者・元CTO)と再会し、いろんなアイデアを交換しました。

その時のアイデアのひとつが、ユーチューブです。当時の私は、デジタルカメラでできることをすべてネットに繋ぎたいと思っていたんです。当時、携帯電話での動画撮影は普及しておらず、ほとんどの人はデジカメの動画モードで撮影していました。

PCで動画を簡単にシェアできるようになれば、それが変わると考えたんです。当時はフリッカー(写真共有サービス)はありましたが、動画をシェアするサービスはなかった。何気なく撮影した自分の街や誕生会のビデオを、どうやったら簡単にシェアできるか。これがユーチューブの原点となる疑問だったんです。

藤井:歴史的な瞬間ですね。そこからどうやってアイデアを形にしたのでしょう。

ハーリー:最初にアイデアの草案をつくってから、実際にサービス設計を始めました。ホワイトボードにスケッチしながら、どんなアプローチが最適かとか、いろいろ話しましたね。

UI設計については、私はそもそもデザイナーなので、みんなに共感してもらえるインターフェイスをつくることができた。世の中には機能としては素晴らしいのに、なぜかブランドに共感されていないサービスがありますよね。ですがユーチューブは幸運にもみんなが愛してくれる動画のプラットフォームになれた。その要因には、PayPalでできたネットワークのおかげでテクニカルなチームを簡単につくれたこともありますね。

「ユーチューブ」というサービス名には、「あなたが自分で放送できるんだよ」という意味を込めたんです。最初はバンドの『U2』に似ているといわれることもあったけど、うまくいきましたね。



那珂:PayPalマフィアはなぜ、その後次々と成功しているのでしょうか。

ハーリー:うーん、なぜでしょうか……。ただ、ひとついえるのは、当時は受け身でいることは許されなかったということです。ドットコムブーム真っ最中も、それが終わる頃も、私たちを保証するものはない。

自分で行動しなければならなかったんです。PayPalでの初仕事は、自分でイケアで買ってきた机を組み立てることでしたから。もちろん、ユーチューブでも同じでした。つまりは、その時々を「生き抜く」という経験ですね。

あとは、実は技術的な面でも、ユーチューブはたくさんのことをPayPalから参考にしています。例えば、ビデオを簡単にアップロードする方法もPayPalにいた頃に学びましたから。
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編集・構成=野口直希 撮影=嶺竜一

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