特別機がスマトラに到着すると、機内での秘話を父ブッシュが語り出した。
クリントンは、自分は執務室でトランプカードでもして過ごすからと、父ブッシュにベッドを譲ったという。父ブッシュは交代でベッドを使おうと主張したが、クリントンは聞き入れなかった。父ブッシュが夜中に覗いたところ、クリントンは床の上に大の字で寝ていたという。
アメリカ合衆国元大統領が床の上で寝ているのである。父ブッシュは密かに感謝の念を抱いた。この秘話が披露されてからというものの、アメリカのメディアでは、やたらと父ブッシュとクリントンが並ぶ写真が掲載されるようになった。
続いてローマ法王が亡くなると、ローマへの弔問に並ぶ写真で、やはり父ブッシュの隣に立ったのはクリントンである。さらに翌年、アメリカを襲った未曾有のカトリーナ台風では、子ブッシュ大統領の要請で 2人は再びタッグを組み、あっというまに約1億3000万円の義援金を世界中から集めた。
敵はいつまでも敵ではない
アメリカという国は、間違いなく人脈社会である。他人同士があっという間に意気投合する「友達づくり」の早わざに我々が驚いている一方で、合理的なビジネスシーンでも紹介者の有無が、採用や協業などに大きな影響を与えている。
間違えてはいけないのは、敵はいつまでも敵ではないということだ。アメリカの経営の世界では、昨日の敵と融和することはザラにある。「他人」の能力をゼロから推量するより、むしろ旧知の「敵」がいいという発想だ。だから今日の敵との戦い方に関しても、後々を考えながら計算高い。
ストレートに聞こえる英語というものの文化的な問題から、敵との激しい議論はそれで完璧に人間関係を断絶するようなものに聞こえることもあると思う。しかし、実際はそうではない。優秀なビジネスマンは、どんなに激しく言い争っても、「これを言ったらおしまい」という言葉だけは絶対に使わない。
将来、対人関係の文脈が大転換されても、そのコンテクストに合わせられるだけの態度と言葉の選択を計算している。今回の国葬前後のメディアの報道には、「トランプ大統領よ、あなたはそんな言葉を使って大丈夫なのか?」というメッセージも、確実に含まれている。
旧日本軍の砲撃を浴びて2回も海上へ墜落しながら奇跡的な生還をとげた父ブッシュ大統領は、東部13州の名門の生まれだが、実生活では3歳の長女を白血病で亡くすなど苦労が続いた。1980年には、共和党の大統領候補指名を争う予備選に出馬して、ロナルド・レーガン(第40代大統領)に敗れているし、2期目を狙った大統領選でも、現職であったにもかかわらず敗れている。
当時は自分のことをジョージ・ブッシュと称しており、ジョージ・H・W・ブッシュではなかった。まさか、8年後に息子のジョージ・W・ブッシュが大統領になるとは、夢にも思っていなかったのだろう。東西冷戦の終結、湾岸戦争など激動の時代にアメリカ合衆国大統領を務めたジョージ・H・W・ブッシュ氏のご冥福を祈りたい。
連載 : ラスベガス発 U.S.A.スプリット通信
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