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金融から紐解く、世界の「今」

フレディ・マーキュリー(1982年撮影、Photo by Steve Jennings/WireImage)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」によって、43年前のクイーンの楽曲が再び注目を浴びている。

ロック史上の天才と呼ばれた人々は、ジミヘンやプリンスのようにソロで活動するか、あるいはバンドで一人図抜けて目立っていたことが多い。ELPといえばキース・エマーソンだし、レッドツェッペリンなら何だかんだ言ってもジミー・ペイジだろう。

この点、クイーンの凄さは、ビートルズと並び、破滅型の天才(レノン、マーキュリー)と、現世でも生きていける天才(マッカートニー、メイ)という、全くタイプの異なる天才が、同じバンドにたまたま2人揃ったことにあるように思う。特に、宇宙物理学者にして自然保護活動家でもあるブライアン・メイは、この社会で立派に働けるという点では、ポール・マッカートニーより上だろう。

しかし、1970年代の音楽評論でのクイーンへの評価は、(「ミュージック・ライフ」誌を除けば)日本でも最初から高い訳ではなかったと記憶している。プログレとは言い難いし、でもビジュアル系という訳でもないし、ハードロックと言い切るには、歌詞も悩む男の心情吐露みたいなもの(Somebody to Loveや Under Pressureなど)が多くてすっきりしないし……。

当時は、「クイーンが好き」と言うよりも、ピンク・フロイドやキング・クリムゾンが好きと言う方が賢そう、というのが一般的な見方だったように思う。



実際、70年代のクイーンの楽曲は、「シンセサイザー不使用」とわざわざ記されていた通り、使っていたテクノロジーも多重録音だったりアナログ・ディレイだったり、結構ヒューマンタッチなものが多い。もちろん、独自の配線のギターまで自作するブライアン・メイなら、その気になればトム・シュルツ(ボストン)やフィル・コリンズ(ジェネシス)にエンジニアリングでも対抗できたはずだが、敢えてしなかったということだろう。

このように濃厚な人間臭さを残すクイーンの楽曲が、このデジタルミュージック全盛の時代に再び脚光を浴びていることは興味深い。もちろん、今の技術なら、シンセや打ち込みでボヘミアン・ラプソディを飾り立てることは簡単だろうし、この曲のデータをAIに食べさせれば、似たような楽曲を作り出すことも可能だろう。しかし、AIやデジタル技術を持ってしても、ゼロからこの曲を作ることは、なかなか難しいように思える。

AIと「相互作用」や「非合理性」

まず、このボヘミアン・ラプソディ、何度聴いても、さまざまな試行錯誤を詰め込んだ苦悩の産物である。そもそも、ロックの曲なのに全部をライブ演奏できないのだから、それだけでも完成品とは言い難い。

しかし人間は、ラベルの「ボレロ」のように一部の隙もないような曲ばかり聴きたい訳でもない(それはそれで素晴らしいが)。「無謬性」や「想定内」の中には真の創造など生まれない訳で、煌めきや発見とともに、そこに至る苦悩と失敗の痕跡や未完の部分まで魅力になるから、音楽は面白いのだ。

文=山岡浩巳

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