ニースがフランスに帰属したのは今から158年前、1860年の話で、それまではサルディーニャ王国の一部、さらにその前はサヴォイア公国の一部でした。その当時ニースはサヴォイア公国にとって唯一の港町、そしてフランスとの国境ということもあり、非常に栄えてました。
ニースで交易をしては、ラバを使って山を越え、首都のトリノ(イタリア北部、現ピエモンテの州都)まで色々なものが運ばれていました。ニースからは、塩やスパイス、ストックフィッシュと呼ばれる乾燥鱈などが持ち込まれ、逆にトリノからは、米やサフラン、布などが運ばれ、両都市をつなぐ道は「塩の道」と呼ばれていました。
食を通して歴史を学ぶとは言いますが、寒くなってくると、ピエモンテでは伝統的な料理であるバーニャカウダを食べる習慣があります。バーニャカウダ(bagna cauda)とは、ピエモンテの方言で暖かいソースという意味。日本でも、寒い日は暖かい鍋を食べたくなりますよね。
バーニャカウダにはアンチョビが欠かせません。でも、なぜ海のないピエモンテにアンチョビがあるかというと、先ほどの交易の話で、ニースから塩(当時お金と同じぐらい貴重だったもの)を運ぶ際、山賊から襲われないために「塩をアンチョビに隠して運んだから」だと言われています。
ちなみに、バーニャカウダはニースでは名前が異なり、アンショワイヤードという名で、どちらかというと、日本でおなじみの野菜のディップとして親しまれています。
それでもチョコが食べたくて?
ピエモンテといえばもうひとつ、ジャンドゥーヤという少し柔らかいヘーゼツナッツ入りのチョコレートも有名です。横から見ると台形、正面から見ると三角形という不思議な形をしていますが、それは、コンメディア・デッラルテという仮面劇に登場するピエモンテ人が被っている帽子に由来します。
また、このショコラは別名ナポレオンショコラとも言われているのですが、どうしてこのような名前がついたかご存知でしょうか?
ナポレオン時代の帝政フランスは、領土拡大を目指し、サヴォワ、ピエモンテと領土を広げていたので、トリノもまたフランスの支配下にありました。
その頃ナポレオンは、産業革命中のイギリスを経済的に封じ込めるために「大陸封鎖令」を発令し、イギリスが対抗策として「海上封鎖」をしたことから、英領であった南米からカカオの輸入が滞り、価格が暴騰。そのため、ピエモンテの特産物であるヘーゼルナッツを代用としてチョコに練りこんだことで、ジャンドゥーヤが誕生したというわけです。