8月22日に発表される「30 UNDER 30 JAPAN」ソーシャル・アントレプレナー部門のアドバイザリーボードを務めてくれた渡邊は、もともとは写真家としてニューヨークやパリで活躍していた。やがて「社会起業家」という新しい生き方/働き方を知り、社会変革の担い手の取材を始めたことをきっかけに、社会を変える人が生まれやすい環境をつくる仕事を行うようになる。
果たして彼女は、どんな「UNDER 30」の時代を過ごしてきたのだろうか? 身一つでニューヨークに渡り写真家になるまでのエピーソード、そして、渡邊が考えるこれからのチェンジメーカーに求められる素質を訊いた。
イビザからニューヨークへ
20歳前後から「人生の意味ってなんだろう?」ということをつきつめて考えるようになりました。子どもの頃から世間の常識に対しても、「本当にそうなのか?」といつも疑問に思っていたんです。他人や社会が言っていることを信じるのではなく、自分の目で確かめたいと思い、行動し始めたのがその頃でした。
たとえば私は、誰かを理解するうえで、どこの大学を出ているかとかどこで働いているかといった社会一般の基準はあまり信じていません。自分が直感的に感じることを信じること、そして、いわゆる“世間”からの圧力には影響されないようにすること。この2つは、自分が大人として生きていくうえの指針にしようと、意識的に決心したのを覚えています。
大学では英文学を勉強して、卒業しても就職することは考えたことはなく、22歳のときスペインのイビザ島で半年間過ごすことにしました。そこであるフォトグラファーと出会ったのが、写真家になったきっかけでした。
彼が写真を撮っているところを隣で見ていて、彼が見ているものを私も見ているはずなのに、出来上がった写真はいつも私が頭に描いていたものとまったく違う。それが衝撃的だったんですよね。人は同じものを目の前にしても、見方が違うんだなって。それで、「私の見方」を表現してみたいと思った。イビザのあと、ニューヨークに行って写真を撮ってみようと思いました。
まずは友だちのカメラを借りて、リゼット・モデルという女性写真家が行う月に一度のクリティーク(写真の批評クラス)に通って作品をつくり、雑誌社や広告代理店に電話をして写真を見ていただけませんか? と聞くような毎日が2〜3年続きました。ほとんどは相手にしてくれなかったのですが、あるとき『ニューヨーク・マガジン』のアートディレクターが作品を見てくれることになり、そこで小さなポートレートの仕事をもらったのが最初ですね。それが20代半ばのことでした。