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国境は知っている! 〜ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル

ゴムボートに乗ってビーチライフを満喫

ウラジオストクではいま海水浴シーズンが始まっている。冬は海も凍るほどの厳寒の極東ロシアだが、6月下旬から8月中旬くらいにかけては、1年でいちばん暑い季節。日中は30度近くにもなるので、この町の人たちはいっせいにビーチに繰り出す。

水辺で肌を焼くだけなら、バルト海沿岸や北緯50度近いアムール河沿いでもできることだが、ロシア広しといえども、海水浴が楽しめるのは、黒海沿岸のリゾート地か、ここ日本海に突き出たムラヴィヨフ・アムールスキー半島の南端にあるウラジオストクくらいではないか。

なにしろウラジオストクほどビーチが近い町も珍しい。市の中心にあたる中央広場から西に向かって美しい石畳の続く通称「噴水通り」を5分も歩けば、スポーツ湾というビーチがある。

波が穏やかで、ゆるやかな入り江となっている海岸沿いには、無数のビーチパラソルが並び、水着姿のロシアの人たちがそこらかしこで寝そべって肌を焼いたり、ボートを浮かべて遊んでいたりする光景が平日でも見られる。


午後のスポーツ湾ビーチ。平日なのでまばらではあるが、老若男女が肌を焼く光景が見られる

ビーチ沿いの通りには、人気のジョージア(旧グルジア)料理レストラン「スプラ」や、シーフードレストラン「ピャーティ・オケアン」があり、海鮮BBQの屋台も軒を並べる。ランドマークは遊園地の観覧車で、隣にサッカースタジアムもある。夜になると、屋台のバーもオープンし、遅くまでにぎやかだ。

地元出身ロックバンドが歌うビーチソング

ビーチはそこだけではない。市街地の南には、橋で結ばれたルースキー島をはじめ、たくさんの島があり、若者たちが右ハンドルの日本車を運転して繰り出し、仲間と一緒にビーチBBQを楽しむ。港町の住人だけに、ヨットやクルーザーを持っている人も多いので、無人島へと向かう人たちもいる。

もともと軍港都市だったウラジオストクでは、ある時期まで市民が勝手に離島などに行くことは軍事的な理由で禁じられていたものだが、いまでは島をつなぐ橋もあれば、離島行きのフェリーも出ており、人々は手付かずの大自然を我がものとすることができるようになったのだ。

ウラジオストク在住の若者のひとり、アレックセイくんはこう語る。

「夏になると、どのビーチも人でいっぱいになる。だけど、この町の人間は自分だけが知っている秘密のビーチがあって、そこに特別の誰かと行くんだ」

そういえば、この町出身のロシアを代表するロックバンド、ムミー・トローリが、1998年にリリースしたアルバム「Шамора - Правда О Мумиях И Троллях」のタイトルにも使われている「シャモラ」とは、半島の東海岸にあり、夏はウラジオストクの人たちでにぎわう有名なビーチリゾートの名前である。

1980年代後半、ソ連崩壊に向かうきわどい時期にデビューした彼らのバンド名は、フィンランドの画家であり作家であるトーベ・ヤンソンの作品「ムーミン」に因んだもので、「ウラジオストク2000」(1997年)という世界的ヒット曲もある。海外公演や来日も多く、最近では2017年11月に東京の渋谷でライブを行っている。


リーダーのイリヤ・ラフテンコ(左)をはじめメンバーはウラジオストク出身

ロシアでは珍しい夏の青春の思い出を歌うビーチソングなのだが、日本人にはダミ声にしか聞こえない渋すぎる歌声と、この国の歌に特有のメランコリックな旋律が特徴的な彼らの音楽を聴いていると、ロシア的な情熱というもののほとばしりが感じられる。アメリカ西海岸やカリブ海的ノー天気さとはまったく異なる、哀愁が込められた曲を聴きながらウラジオストクのビーチを訪れると、なんともいえないエキゾチズムに包まれるのだ。

文=中村正人 写真=佐藤憲一

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