2012年の9月に私は、22年ぶりに日本からワシントンに戻った。渡日する以前の1985-1990年の間はUSTR(米国通商代表部)で働いていたが、当時と比べ、いちばん変化を感じたのは、アメリカでの日本の存在感の大幅な低下だった。
その中で、日本に対する関心事といえば、主に2つ。一つは、2011年の東日本大震災の後処理、特に、福島第一原子力発電所の状況と、日本政府の原発事故後の放射能対応措置に関することであり、もう一つは、尖閣諸島をめぐる日中、竹島をめぐる日韓の領土問題だった。
しかしながら、2012年12月に安倍晋三政権が再び誕生すると、アメリカの日本に対する関心は、経済、安全保障、歴史という3つの新たな分野で大きく高まった。
安倍政権が復活した時には、アメリカは2つの期待と2つの懸念を持つようになった。期待の第一は、安倍政権が、日本経済再生に向けて尽力するであろうというものだ。第二に、安倍政権は、2009年の民主党政権発足時にギクシャクした日米安全保障の関係強化に努めるであろうという期待だ。2つの懸念とは、第一に、安倍首相の歴史認識が、歴代首相とは異なるということであり、第二に、それが、中国や韓国をはじめとする近隣諸国との緊張や関係悪化につながるのではないかという懸念だ。
安倍政権の最初の数カ月は、日米関係に関しては、2013年2月の安倍首相の訪米の際のオバマ大統領との会談を含め、順調な滑り出しをみせた。TPP(環太平洋経済戦略的連携協定)や沖縄の普天間飛行場移転について進展が見られ、首相の「日本は戻ってきました(Japan is back)」とのスピーチは、ワシントンで好評を博した。
しかし、2013年4月以降の一連の出来事によって、安倍・オバマ政権の「ハネムーン」期間に陰りが見えるようになる。一連の出来事とは、4月の麻生副総理による靖国参拝、4月の安倍首相の「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」との国会での発言、5月の橋本大阪市長による「従軍慰安婦」発言、7月の麻生副総理による「ナチスから学んだらどうか」発言などである。
安倍政権発足後、アメリカにとって衝撃的だったのは、2013年12月の安倍首相による靖国神社参拝だった。ワシントンを訪問した多くの日本の政治家に、ワシントンの関係者は政党を問わず、「首相の靖国参拝をアメリカは歓迎しない」と繰り返し伝え、さらに、バイデン副大統領が直接首相に伝えたにもかかわらず、首相が参拝したので、アメリカは驚いたのだ。
日本の中には、参拝に対して、アメリカ大使館が「disappointed」との声明を発表したことに対する反論があったようだが、ワシントンから送られてきた原案の文言は、もっと厳しいものだということは意外と知られていない。かなりのやり取りがあった後、声明は「disappointed」との文言にトーンダウンされたのである。また、その日本語訳についても「失望」というのは厳しすぎ、「残念」の方が適切な訳であるという日本側の意見もあった。しかしながら、日本語専門家の間で相当議論した後に、アメリカ政府が「失望」の文言を使うことにしたのは、ワシントンからの声明案では、「disappointed」よりも、もっと強い文言が使われていたからなのである。
2014年の初頭には、ワシントンでは、日本について「よい安倍」と「悪い安倍」という見方が出てきた。即ち、日本経済再生に邁進している「よい安倍」は、政党を問わず誰もが賛同し支持している。一方、歴史を改訂しようとしている「悪い安倍」については、ワシントンでは日本以外には支持する国はないと見られている。アメリカでは日本の安全保障政策を変えようとする安倍首相の試みについては、「よい安倍」の現れとみる人もいるが、「悪い安倍」の現れだと考える人もおり、これについては、今後詳しく説明していきたい。