「人生100年時代」の陥穽 [田坂広志の深き思索、静かな気づき]

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最近、「ライフ・シフト」という言葉とともに「人生百年時代」という言葉が、しばしば耳に入ってくる。それは、グラットンとスコットの共著書『The 100 Year Life』の影響もあるのだろう。たしかに、食事栄養の改善と医療技術の進歩で、我々の寿命は確実に長くなっており、誰もが百歳まで生きる可能性が生まれている。

かつて、織田信長が、幸若舞『敦盛』の一節、「人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり…」を謡った時代からは、文字通り、隔世の感があるが、もとより、人間が人生を長く生きられるということは、有り難いことであろう。

しかし、この「人生百年時代」という言葉に惹かれ、「さて、これからの長い人生を、いかに生きるか」ということに心を奪われるとき、我々は、大切なことを忘れてしまう。それは、人生を見つめるとき、そこには「二つの尺度」があるということだ。

一つは、人生の「長さ」。一つは、人生の「密度」。

されば、「いかに長く人生を生きるか」ということも大切であるが、「いかに密度の濃い人生を生きるか」も大切であろう。いや、むしろ、人生というものの真実を深く見つめるならば、「いかに密度の濃い人生を生きるか」こそが、大切であろう。

それは、なぜか。

我々は、人生の「長さ」は決められない。しかし、人生の「密度」は決められる。それが、人生の真実だからだ。

たしかに、食事に気を配り、運動を心掛け、医者の力も借りて、少しでも長生きしようと努力することはできる。また、努力するべきであろう。しかし、人間、いつ死ぬかは、いずれ、天が決めること。

昔から「病上手の死に下手」「病下手の死に上手」という言葉がある。いつも病気がちの人間が、思いのほか長く生きることもある。全く病気をしない元気な人間が、突如、その人生を終えることもある。そのことを教える言葉だ。そして、健康でも、事故で他界する人間もいる。

されば、一人の人間の「人生の長さ」は、いずれ、天が定めるものであろう。しかし、「人生の密度」、いま与えられたこの時間を、どれほど密度の濃い時間として生きるかは、人間が決めることができる。我々自身のその時間に処する覚悟によって、「時間の密度」は、どのようにでも変わる。そのことは、自身の日々の時間の使い方を振り返ってみれば、容易に分かることであろう。

では、その「時間の密度」を高めるには、どうすればよいのか。

働き甲斐を感じる仕事に取り組む。生き甲斐を感じる趣味に没頭する。もとより、そうしたことによっても、時間の密度は高まるが、その根本に定めるべき覚悟がある。それは、先の『敦盛』の一節に続く言葉である。

「一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか…」

この言葉は、人生の「三つの真実」を教えている。

人は、必ず死ぬ。人生は、一度しかない。人は、いつ死ぬか分からない。

その真実を直視し、目の前のかけがえのない時間を、慈しむように生きるならば、我々の時間の密度、そして、人生の密度は、確実に高まっていく。しかし、我々は、いつもその真実を忘れてしまう。「人生百年時代」の陥穽は、そこにある。

文=田坂広志

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