僕は最近見たある映画を思い出した。「ワシントン・ポスト」がアメリカ国防総省の機密文書を暴露する『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(スティーブン・スピルバーグ監督)である。
メリル・ストリープ扮する社主キャサリン・グラハムは、父の会社を受け継いだものの、それまで主婦をしていたのでジャーナリストの経験はない。彼女の仕事は社主として高級レストランでセレブたちと食事することくらいである。
ときどき「あんまりホワイトハウスを怒らせないで」などと気弱なことを言っては、編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)に馬鹿にされている。いわば会社の“お飾り”的な存在である。しかし、取材が真相に迫っていくと、相手も必死に抵抗し始める。しかも、事を構えるのは、アメリカ合衆国大統領である。
当初は鼻息の荒かった男どもも、中央からのあの手この手の圧力にさすがに腰が引けてくる。顧問弁護士たちは最初から猛反対だ。合理的に考えるならばこのへんが潮時と手を引くべきだと誰もが思っているその時、ひるむな、行け!とゴーサインを出すのが、日頃馬鹿にされていた社主のキャサリンなのである。
現代人は今、大きくはふたつのレイヤーからなる世界に生きている。ナショナリズムとグローバリズムである。
自分の才覚で国境越えて、自分の力を存分に発揮して生きる。このようなグローバルエリートは、個人というものを信じている。どこの国や地域にも帰属意識を持たず、どこの歴史にも属さない。そして稼いだ金で快適で充実した人生を実現しようと邁進する。
一方、国や地域に根ざす市民は、いまだに国民国家を信じ、特定の国や地域の歴史に帰属意識を持ち、伝統や人間的な関わりの中で自分のアイデンティティーを編み上げ、共同体の中でこそ充実した人生があると考える。山野千枝さんが提唱する、「跡取りバンザイ」は、ナショナリズムの変形であるコミュニタリアニズムに依拠するものだ。
ナショナリズムやコミュニタリアニズムは、伝統を重視する。ビジネス論に移行させれば、未来は伝統の中にあるという逆説めいたテーゼになる。跡継ぎという存在のもっとも大きなテーマは存続性と永続性だ。そしてこのために、時として跡取りは、親の方法論を否定しなければならなくなる。
よかれと思って執った処置を、伝統の否定と親に解釈され、そこに確執が起きる。実家を立て直そうと一流企業を退職して帰郷したのに、自分の前に立ちはだかるのは他でもない実父だったりする、そういうことはよくあると、山野さんは教えてくれた。
しかし、永続性、つまり家業を存続させようとすることは同時に、どこかで伝統の保全にもつながる。スモール・ジャイアンツの大賞として表彰されたのは「ミツフジ」である。三寺歩社長もまた跡継ぎである。どん底にあった家業を、IoTとリンクした最先端の「ウェアラブル」ビジネスへと再興させたことが評価された。
その見事な手腕の機動力は、先代が開発したがすでに忘れられていた「生地の織り」にある。未来に向かうと言うことは変化を受け入れるということだ。しかし、どこかでなくしてはいけないもの(伝統)もある。それを大切にするのが血である、そしてそれが会社を存続へと導く。──山野理論を僕はこのよう解釈した。
現代人はグローバリズムとナショナリズム(コミュニタリアニズム)のせめぎ合いの中で生きている。基本的には、グローバリゼイションに抗うことは難しいというのが識者の見解だ。しかし、グローバリゼイションが前提とする普遍的な個人というのも怪しいということもさかんに言われている。
さて、自分の出自に責任を持ち、なおかつグローバリゼイションの波に乗って悪しき伝統に風穴を開けようとする犯人、そしてそれを追う刑事の物語、これが僕の次回作となる。
榎本憲男(えのもと・のりお)◎1958年和歌山県生まれ。大学卒業後、西武セゾングループの文化事業部に。その後、東京テアトルで映画事業に携わり、プロデューサーや番組編成などを担当する。会社員時代から脚本の執筆を始め、2011年、退社して自ら監督を務めた「見えないほどの遠くの空を」発表。同時に原作小説も刊行。15年、「エアー2.0」(小学館文庫)が第18回大藪春彦賞候補となる。最新作「巡査長 真行寺正道」(中公文庫)も、読書家から好評をもって迎えられている。