熊谷市長は早稲田大学政治経済学部経済学科を2001年に卒業して、NTTコミュニケーションズに就職。その後、2007年の千葉市議選に出馬し、稲毛区でトップ当選を果たす。
2009年4月、前千葉市長が収賄容疑で逮捕、辞任。それに伴い5月に行われた市長選に出馬して当選。31歳4か月での市長就任は当時最年少で、政令指定都市の市長としては、現在でも最も若い。
ツイッターで市民と議論を
就任後に待機児童数を10分の1以下へと導く一方、市の借金を600億円返済。財政再建のため、大型開発を中心とした事業仕分けによって、税金の使途にも鋭いメスを入れた。
抵抗が大きいと言われる人件費にも手を付ける。職員の給与だけでなく、政令指定都市で初めて退職金のカットを断行。自らも痛みを分かち合うべく、市長給与と期末手当をカットした。
通常、これだけの改革を進めると、市民、職員、議会、経済団体などさまざまな利害関係者が抵抗勢力となるが、熊谷市長の場合はそうではない。
熊谷市長はその理由を「千葉市民や職員、議会に理解があるから」と表現するが、それだけが理由ではない。包み隠さず情報公開を行う姿勢、論理的でわかりやすい説明、そして、相手を敵視するのではなく一緒に歩む仲間として尊重している点。これが、仲間や支持者を増やし、政策に一層の推進力を生み出している。
市民と話し合いの場を常日頃から設ける熊谷市長は、なんとツイッター上でも市民と対話を行う。90分間の意見交換を夜の9時から行うことにより、政治行政とは距離のある若い市民や昼の対話会などに参加しづらい人であっても参加が可能だ。炎上リスクなどから、普通の市長には実現できないような施策だが、この「ツイッター版 市長との対話会」は、就任後、既に16回を数える。
少数の既得権益者ではなく 多数の住民を
サイレント・マジョリティとラウド・マイノリティの関係でしばしば語られるが、声の大きい少数派の意見に左右されるあまり、「行政が本来行うべき取り組みがなされていない」と指摘されることがある。
いわゆるラウド・マイノリティに対して、熊谷市長は市職員に明確な指示を出す。「彼らの意見も受け止めなさい。しかし、その意見に引きずられるのではなく、全ての住民にとって最適な選択をしなさい」と。