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吉田玲雄(左)、吉田克幸(中央)、大西洋(右)

EC(電子商取引)の拡大やAI(人口知能)の進出で、「消費のかたち」はこれまでにない変化を見せている。果たして「未来の買い物」とはどんなものになるのか。販売のプロである前三越伊勢丹ホールディングス社長の大西洋がその新しい可能性を探る連続対談、第2弾。

来たるべき新消費社会にどう対処すべきか、各界のプロフェッショナルたちとの対話から、明るい未来を照射する。


ポータークラシックの吉田克幸会長は、人気ブランド「吉田カバン」の伝説的元クリエイティブ・ディレクター。1981年には日本人として初めて「NYデザイナーズ・コレクティブ」のメンバーにも選出され、名品と呼ばれる鞄を世に送り出し、長らく業界を牽引してきた。2007年、長男の吉田玲雄氏と新たに「ポータークラシック」を設立。次世代、次々世代にまで愛される商品を追求している。

その吉田父子が、モノづくりでこだわるのは、ずばり「継承」。「流行」という点ではなく、「伝統」という線で捉える「消費のカタチ」だ。

大西:最近、息子さんの玲雄さんに、社長の座をお譲りになったとうかがったのですが。

吉田克幸(以下、克幸):去年の 12月6日で70歳になりました。ぼくがつくってきた鞄もそうなのですが、次の世代に引き継いでいくということを、このところずっと考えてきた。もうジジイの出る幕ではないので、70歳という区切りで、玲雄に社長をやってもらうことにしました。

大西:なるほど、技術や思いを若い世代に伝えていくのですね。

克幸:ぼくがやってきたモノづくりと、世界中から集めてきた書籍や資料などを、次の世代に渡していきたい。それだけでもたいへんな作業なので、それをマイペースでやらせてもらう。ぼくは、モノづくりはできたのですが、法律だとか数字だとかそういうものは苦手な男だった。玲雄はそういう面では、いろいろできる男で、ぼくのモノづくりの血も入っているので期待できますよ。

大西:吉田さんのことだから、他にも考えていることがあるのでは。

克幸:山下清のように日本の北から南まで自分の足でまわって、小さな民俗館だとかを見ていきたい。勉強したいのです、昔の人たちの英知というか文化を。寒いところや暖かいところ、農村の暮らしとか武家の社会を、自分の目で確かめていきたい。

「ストーリーを伝えていく」のがうちの売り方

大西:そもそも吉田さんに最初にお会いしたのは、2007年に「ポータークラシック」を創業され、銀座のインターナショナルアーケードに1号店を出された頃。もともと吉田さんがこだわりのモノづくりをされているのは知っていましたが、初めてあの場所で商品を見たときは、衝撃を受けました。

克幸:銀座は、ぼくが1960年代に育った街です。新しいビルが立ち並ぶなかで、インターナショナルアーケードと銀座ファイブと泰明小学校だけが当時のまま残っていました。とくにインターナショナルアーケードは空き家同然のようなショッピングモールだったのですが、そこには目指していた雰囲気の空間があった。

大西:そこに出かけて行った亡き藤巻(元伊勢丹のカリスマバイヤー藤巻幸夫氏)から電話をもらって、出張中にもかかわらず、ぼくはすぐに駆けつけた。

克幸:伊勢丹のボスが来た。しかも、パッと見て、すぐにその場で指示を出して、伊勢丹メンズ館の8階に出店することが決まった。もう、夢見るシンデレラジジイになった気分でしたよ。あれから「ポータークラシック」のブランドが世の中に浸透していった。

大西:ひと目見ただけで、モノづくりへのこだわりが伝わってきましたね。これは本物だと。とにかく、カッコいい。これはもうインスピレーションでした。

吉田玲雄(以下、玲雄):いまでもその瞬間を覚えています。梯子を上がる屋根裏部分を活用してつくったスペースで、スーパーナイロンの鞄のメイキング動画を流していました。ナイロンの製品染めというのは、業界でも初の試みでした。その映像を見られた大西さんが、ひと言、「やりましょう」っておっしゃられたのです。その瞬間、鳥肌が立ちました。

大西:
製品のメイキング動画を流すというのは素晴らしいアイディアでしたね。

玲雄:実際に工場に見学に行ったら、とても手の込んだ作業でした。それで、その過程を映像にして店で流したのです。モノだけではなく、それにまつわる「ストーリーを伝えていく」というのが、うちの売り方になっています。

大西:玲雄さんは、もともとカメラマンをするなど、アーティスト活動もされていたのですよね。著書の「ホノカアボーイ」も映画化されていますね。

玲雄:「ポータークラシック」を立ち上げたとき、ちょうど「ホノカアボーイ」の映画を撮影しているところでした。その頃父は食道がんの治療経過などあり、精神的にも体力的にもキツかったと思います。その現実を見て、「日本の宝と思えるこの才能を、自分が防波堤になって守ろう」と創業に加わったのです。あと、やるからには子会社化とかではなく、たった二人で始めることに意義があると思いました。

克幸:ありがとうございます。

編集=稲垣伸寿 松下久美 写真=細倉真弓

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