一方、時折挟まれる南極基地のシーンにおいて、「かつての有名人」を取材に来た記者にオルタンスは、エリゼ宮時代の思い出を語ろうとはしない。たった2年でその名誉ある職を辞した理由は何だったのだろうか。
大統領一族の昼食会で、主菜と副菜を担当することになったオルタンスは、彼女の活躍にピリピリしていた主厨房のシェフ、ルピックと本格的にぶつかってしまう。「つけ上がると痛い目に遭う」と威嚇するルピック。
コックたちの間で自分が「デュ・バリー夫人」(貧しい平民からのし上がったルイ15世の愛妾)という渾名をつけられているのも知りつつ、オルタンスは毅然とした態度を崩さない。しかし、女が高い地位を得ると「枕営業」を疑う男はどこにでもいるのかと、見ていてげんなりした気分になる。
このあたりから徐々に逆風が吹き始め、官邸各部署の見直しに伴って、彼女は仕事内容の大幅変更を迫られることになる。
「食」がもたらしてくれるもの
大統領の健康のため「動物性油脂を減らせ。ソースは禁止」とする官邸側と、「肉や野菜から出汁を取ったソースは、小麦粉やバターで作った重いソースとは違う」と反論するオルタンス。傍目には滑稽なやりとりに思えるこの「ソース論争」にも、大統領の希望する「おばあちゃんの味」を堅持しようとする彼女の料理人としての意地がうかがわれる。
エリゼ宮での晩餐会に出席したエリザベス女王とミッテラン元仏大統領(1992年6月9日撮影、Getty Images)
コストを削られ、同時にやる気も削がれる出来事の中で、ある夜、お忍びで厨房にやって来た大統領をトリュフのカナッペでもてなすシーンは、周囲のさまざまな政治的思惑の中で唯一、人と人が「食」でシンプルにつながっている美しい場面だ。
自分が美味しいと信じるものを最高のレベルで提供し、喜んでもらうことに情熱を注いできた仕事人オルタンス。他方、心身ともに疲れ果てた彼女がついに辞表を提出したとのニュースに、「担当を奪い返したぞ」と湧く主厨房のコックたち。プロとしての女の矜持は最後、「男の世界」の前に敗れ去る。
しかし生活を立て直すためにその後、南極基地の「給食のおばさん」になり手料理を提供し続けた一年間が、彼女を徐々に恢復させていったことは、隊員たちとの親密なやりとりから垣間みることができる。
「なぜ南極基地での仕事に応募したのか」という問いに「高給だったから」とドライに答えるオルタンスだが、そればかりではなかっただろう。彼女が求めてやまなかったのは、「食」を通じて形成される人間的なつながりなのだ。
多くの女性が遭遇する就業・転職や職場の人間関係、結婚・離婚や子育て、思いがけない病気や介護。ひとつひとつは極めてパーソナルな出来事でありながら、そこには社会構造や人々の意識が反映されている。映画の中のヒロインを取り巻く状況も同じだ。この連載では、物語を通して、現代を生きる女性の姿を見つめていく。