築100年を越える酒の工場だったいう建物が立ち並び、アートの展示スペース、オープンカフェ、映画館、地元のクリエイターのグッズを扱うショップなどが軒を連ねている。積み重ねた歴史と先進的な感性が融合し、新たな台湾の文化が形づくられている空間であると感じた。
吉本興業が台湾の企業やアーティストとコラボレーションしながら、日本で育てたコンテンツを発信する場所としても最適だろう。
記者発表があった日も、まだ一般には公開されておらず看板も出ていなかったにもにもかかわらず、通りがかった人たちが代わる代わる入り口付近のスタッフに話しかけていた。
台湾文化と日本の漫才を融合させる「漫才ボンボン」
吉本興業の記者発表の会場ではスーツ姿の日本のスタッフに混じって、ラフな服装の2人組も立ち働いていた。台湾で活躍のチャンスを掴むため、日本から移住した漫才コンビ、「漫才ボンボン」(台湾での表記、漫才少爺)である。三木奮と太田拓郎の2人は、2015年の4月末に台湾に渡った。吉本興業の台湾での展開において、彼らの存在は大きい。
台湾のライブハウスで披露する漫才は中国語。三木は中国への語学留学の経験があり、中国語の基礎を理解していた。太田は当初、まったく中国語の意味がわからなかったものの、セリフを覚えて三木と漫才をしていた。台湾で舞台に立ちながら勉強を続けた今では、言葉のニュアンスを理解できるようになり、はじめのころよりウケるようになったという。
そうした努力が実を結び、テレビのレギュラーで番組に出演するなど活躍の場を広げている。台湾で日本のお笑いは受け入れられやすいと三木は言う。
「台湾ではテレビで日本のバラエティ番組も放送されていて、志村けんさんがすごく有名で人気があります。親日の人も多いですし、日本のお笑いが通じる下地がつくられていると感じます」
その一方で、台湾ならではの難しさを太田は語る。
「他の国で日本といえば、忍者や侍のイメージがあります。だからそういうネタをやりたくなるんですけど、台湾で中途半端な知識で忍者や侍のネタをやると、服装や刀の形が違うと言われます。それくらい日本について詳しい人たちがいるんです。安易に『日本といえば』というイメージに乗っかって、軽い知識でしゃべるわけにはいきません。ですからちゃんと知っていることをネタにするようにしています」
さらに根本的な問題がある。コンビがボケてツッコむ漫才という芸の形そのものが、台湾ではまだほとんど知られていないのだ。彼らは舞台に立って台湾の観客を楽しませることで、日本の漫才という文化を広める役割も担っている。そのためには台湾の文化を学ぶ必要があると太田は続ける。
「例えば日本だと、自分が貧乏だという話がウケたりします。でも台湾だと貧乏ネタではだめで、金持ちであることをネタしたほうがウケるんです。日本に理解がある人が多くても、台湾には台湾独自の文化があります。台湾で通じるネタとは何なのか、常に勉強しながら生活しています」
現地に住むことで、言葉はもちろん、どんなネタがウケるのか日常生活の中から感じ取る機会がある。そして現地の文化と日本のお笑いを融合させ、新しいお笑いが生み出されている。
吉本興業、大﨑社長が描く未来
吉本興業はなぜ台湾で、他国にさきがけ、継続的に日本のコンテンツを発信する拠点をオープンさせたのだろうか。台湾で収益をあげられるという展望があるのか、記者会見の後、社長の大﨑氏にたずねた。
「マーケットのサイズからいって、台湾だけではそんなに儲からないでしょう。それでも、新しいチャレンジをしたり、地元とコラボするのは海外展開では大事なことです。台湾はそういう環境にあるということです」
台湾は日本と比べて物価水準が近いとはいえ、人口が5分の1以下で、市場の規模は決して大きくはない。とはいえ歴史的な背景から親日の人が多く、街なかでは日本人だとわかれば商売抜きに日本語で話しかけられることも珍しくない。
日本の文化への理解がある台湾は、まさにお笑いという文化で勝負をする吉本興業にとって、新規事業を展開し、地元の企業やアーティストなどとコラボレーションを行いやすい場所なのだ。