コンウェーの主張は、英語そのものの定義をねじ曲げる試みだ。事実に対し別の「解釈」や「説明」を加えることはできるが、事実自体を変えることは誰にもできない。
こうした主張や表現は、根本的な危険性をはらんでいる。事実を再定義する権利を主張するような政府は、自らを正当化するためのデータ改変もいとわないだろう。ジョージ・オーウェルの小説「1984」で描かれた「真実省」をほうふつとさせるこうした政府の姿勢は、情報に基づいた判断や戦略立案のために不可欠な基盤を覆すものだ。
人々の間では不安が広がっている。ワシントン・ポストによると、科学者らは、新政権が気候変動に関する米当局のデータをオンライン上から取り下げることを危惧し、各種資料の保存作業を超特急で進めているのだという。
こうした懸念は、反トランプ派の負け惜しみに聞こえるかもしれない。だが、一国の政府が「別の事実」を選び取り、自分たちにとってより都合の良い数字を採用する権利があると主張することは、事実の概念そのものを軽視する恐るべき行為だ。
政府は、特定のイメージ構築や主張の強化という目的に合致するよう、職員に対しデータを改ざんするよう命じる恐れがある。この布石となるのが、米下院が今月復活させた「ホルマン・ルール」だ。これは、議会が歳出予算案を通じて特定の政府職員の給与を1ドルにまでカットすることを可能にする規定で、データ改ざんを拒んだ職員は減給の危険にさらされることになる。
もしデータが改変された場合、どうなるのか。経済格差の問題で言えば、経済を実際より良く見せるため、失業や労働力人口比率が改ざんされるかもしれない。これは、教育レベルや住居差別、不景気が進むエリアの特定、貧困率など、経済学者や福祉関係者らが現状を査定し今後の方針を決定するために使う膨大なデータについても同じだ。
もちろん、これまでの政権も同じことをしていたかもしれない。だが、自分たちに都合がいい虚偽情報を事実とすり替える権利をあからさまに主張したのは、トランプ政権が初めてだ。問題は経済格差に留まらず、軍事戦略などの領域にも波及する可能性がある。一方で私たちは、データが改ざんされたことを知る由もない。
突拍子もない懸念に聞こえるだろうが、私たちは今、奇妙な時代に生きている。私たちの目前からはこれまで常識的だと思われていた言動が消え、予想だにしなかったような言動が目につくようになっているのだ。