長野県の白樺湖周辺でホテルを中心に高原リゾートを経営しています。終戦後、私の祖父は開拓者としてこの地に入植し、農業・酪農を経て、登山客を泊める民宿を始めました。
冬はー20℃となる厳しい環境のなか、けもの道を整備し、電気やガスを通し、温泉を掘り、小さな遊園地、スキー場、美術館と一つひとつ手作りで築いた、まさに“フロンティア精神”の権化のような人です。農業用水の池に「白樺湖」と名付けたのも祖父でした。
私は祖父から直接弊社を譲り受けて社長になったのですが、幼いころから「継いでほしい」と言われたわけではありません。ただ、中学1年生のとき、スイスのマッターホルン山麓にあるツェルマットという村に滞在した経験は大きかった。
標高1,620mの地にホテルやレストランなどが立ち並ぶ一方、500年以上も前に建てられた住居に村人が住み、また街からのマッターホルンの視界が悪くならないよう、村内は電気自動車のみという徹底ぶり。「これが長い年月をかけて創られた村の力だ」と祖父に教わりましたが、実際に住民が地元を愛しているのが、中学生の自分にもわかりました。
いまは祖父が60年かけて築いたものを受け継ぎ、これから40年かけてツェルマットのような美しい村にするのが私の目標です。
現代のホテル経営では所有と経営を分離し、短期的視点で収益を上げることが求められる一面があります。一方欧州では、長期的視点で地域住民とホテルが伝統を守りながらも革新に挑み、その生業自体がアイデンティティとなる地域が多く見られます。私は後者の地域づくりに泥臭く取り組みたい。そのためにも、時間軸の長い取り組みが必要です。
たとえば、都内からIターンで戻れるような採用窓口を増やすこと。雇用と住環境を同時に確保できれば、自然豊かなこの地で子育てがしたいという家族を呼び寄せることができます。
保育士や健康運動指導士などの資格保持者、ミャンマー、ネパール、タイなど「日本のホスピタリティを学んで、帰国後にホテルを経営したい」という夢のある若者も積極的に雇用し、後者には希望の滞在年数に応じたキャリア育成カリキュラムも用意しています。