カチッとしたその身なりから、ドリュー大学のメアリー・アン・ベニンガー学長は、典型的な”象牙の塔”の人間に見えるかもしれない。
だが彼女の率いる大学執行部は、教育界にありがちな風通しの悪いものではない。ベニンガーたちは、学生と収入を失っていたドリュー大学を再生するために招聘された「変革の推進者」なのだ。
同大学は、学生と学費の獲得に苦労している、アメリカにある何百もの大学の一つである。学生数2,151人のドリュー大学は2015年、出願者の約70%を受け入れた。さもなければ、学生のほとんどが他の大学を選んでしまうからだ(ちなみに、ハーバードやスタンフォードが受け入れるのは5%未満)。
そして、ドリューの「割引率」、すなわち、学生を惹きつけるために“援助”の形で返還する学費の割合が69%と、危険なほど高くなっている。それにもかかわらず、新入生の入学者数は、ピーク時であった09年の506人から、14年には302人に落ち込んでしまった。
ドリュー大学には、たくさんの“仲間”がいる。全米大学実務者協会(NACUBO)によれば、大学の平均割引率は06年の39%から16年の49%と上昇の一途にある。このような学費割引は、非効率な大学運営の結果だが、それにより、多くの大学の財務状況に問題があることが覆い隠されている。
「黒字運営できていない大学が3,500校以上あり、学生を集めるのに苦労しています」と、教育コンサルタントのルーシー・ラポブスキーは語る。
「とにかく大学が多過ぎるのです。そして、マーケティングと奨学金に予算をかけることで、教員や実際の教育への投資が減っています」
ベニンガーがドリューに来たとき、新入生が2年生に進級する割合を示す在籍率は、75〜85%の間を行き来していた。6年での卒業率は、上位校の約95%に対してたったの62%であった。
「学生が辞めてしまう原因は、学業にはありませんでした」と、ベニンガーは説明する。
「その他のことが原因でした。大学の事務手続きが、官僚的で面倒だったのです」
ベニンガーはすぐさま改革に取り組んだ。
「新しく加わった職員が多いのにきっと驚かれることでしょう」と、彼女は“新生ドリュー”について語る。
「文化を変えるには、ヒトを変えるしかありません」
最初に雇われたのは、入学担当副学長のロバート・マッサだった。マッサは、高等教育の専門家の間では、ジョンズ・ホプキンス大学人文科学部の財政危機を救ったことで有名だ。
ベニンガーは、教育界の外からも人材を集めた。学長補佐のマーティ・ワイナーは、ウィンダム・ホテル・グループで接客管理を7年間務めた経験を持つ、同大学の同窓理事会のメンバーである。
「ワイナーは企業で勤めた経験もあるので、役立たずには容赦しません」と、ベニンガーは語る。ベニンガーは職員を解雇した際、一時的にその役職をワイナーに任せている。
「私たちは、責任逃れしやすかった環境を責任ある文化につくり替えました」と、ワイナーは話す。
ムチばかりと思われないように、ベニンガーはボーナスを出し始めた。ただし、対象者は職務内容の規定を超えてリーダーシップを発揮した者のみ。
「私たちが組み込もうとしているもう一つの重要な価値観が、『お客様サービス』です」と、ワイナーは言う。この「お客様」という言葉は、教育界の人間を苛立たせるものだ。
「学生には、すべての面でよい体験をしていただかなくてはなりません」
ベニンガーは、就任早々のある出来事を振り返った。学籍係が、「卒業証書の性別を新しいものに変えてほしい」という、性転換をした女性同窓生の要望を断ったのだ。ベニンガーは、同窓生の不満を聞きつけると、すぐに学籍係の決定を覆した。
「学籍係の言い分は『過去は変えられない』というものでした」と、マッサは一笑に付す。
方向転換から2年も経たないうちに、ベニンガーたちは成果を上げている。15年の入学者数は20%も急増して360人になり、16年には出願者数が6年ぶりに15%増加した。SAT(米大学進学適性試験)の平均点は30点も上がり、出願者の受け入れ率は70%から58%に下降した。2年生までの在籍率は88%に上昇し、学生1人当たりの収入は約5,000ドル増えた。