サッチャーさんは、英国の改革を成し遂げられた指導者ですが、この日本という国も、長く低迷を続けています。もし、サッチャーさんが日本の首相だったら、どのような手を打ちますか?
この質問に対して、壇上のサッチャー女史は、静かに、しかし毅然と、こう答えた。
もし、私が、この国の指導者であったならば、この国を改革する方法は、ある。しかし、一つだけ申し上げておきたい。政治に、マジックは無い!
その瞬間、彼女の最後の言葉が、胸に突き刺さってきた。「政治に、マジックは無い!」。静かな語り口ながら、明確に言い切ったその言葉が、鋭く突き刺さってきた。その通り! 政治や経営に、マジックは無い。政治家として、経営者として、あらゆる逆風に抗し、やるべきことを、やる。信念を持って、やる。それだけであろう。
それにもかかわらず、この質問をした経営者の雰囲気から伝わってきたのは、「サッチャーさん、何か、上手い方法はないでしょうか」「何か、改革の秘訣のようなものはないでしょうか」という、手軽な解決策を求める「安易な精神」。我々の心の中に、常に忍び込む「精神の甘さと弱さ」。
その心を見透かしたように、サッチャー女史は、「政治に、マジックは無い!」と言い切った。短いが、見事というべき回答。
しかし、当の経営者を見ると、その釘を刺すような回答に対して、戸惑っている表情。残念ながら、自分の精神の安易さを指摘されたと気がついていない。その表情からは、「サッチャーさん、答えは、それだけですか」という戸惑いが伝わってくる。
プロフェッショナルの世界には、「下段者、上段者の力が分からない」という名言があるが、まさに、それを象徴するシーン。この経営者、遥か上段者のサッチャー女史が、何を指摘しているのかが、分からない。その瞬間、この経営者の表情から心の動きを読み取ったサッチャー女史は、どう処したか。ただ、一言、朗々とした声で、付け加えた。
「ネクスト・クエスチョン!」
その経営者から目を離し、会場を見渡しながら、そう言った。何が起こったのか?サッチャー女史は、ただ一言の余韻で、無言のメッセージを伝え、聴衆を切って捨てた。
「つまらない質問は、ここまで!他に、まともな質問は!」
筆者には、そう聞こえた。さすが、サッチャー女史、「鉄の女」と評される人物。言葉の余韻で、人を切る。言葉の余韻で、深いメッセージを伝える。
筆者は、ダボス会議や先進国首脳会議において、世界各国の大統領や首相のスピーチを間近に見てきたが、これらの政治家と比較しても、サッチャー女史の言葉には、比類なき力が宿っていた。では、何が、彼女の言葉に、その力を与えているのか? なぜ、彼女は、言葉の余韻で、深いメッセージを伝えることができるのか?その理由は、話術やレトリックではない。その理由は、究極、ただ一つであろう。
自分が語ることを、自分自身が、誰よりも、深く信じていること。
単なる「思い込み」ではなく、揺るがぬ「信念」と呼ぶべきもの。その「信念の深さ」が、言葉に力を与える。そして、ときに、「言霊」を宿らせる。そのことに気がついたとき、我々は、話者として、ある高みに向かって登り始めている。