「地上最強の虫は何か」「スズメバチではないか」「しかし、それを食べてしまうのはクモ」。着想は2004年のある日、研究室の仲間とのそんな他愛もない会話がきっかけだった。クモの巣は、自分の体よりもおおきな虫を捕らえる、強靭さとしなやかさを持つ。その繊維も地上最強に違いない—。
山形県鶴岡市にある慶應義塾大学環境情報学部4年次、先端バイオ、冨田研究室に所属していた関山和秀と「クモの糸」との格闘は、その日から始まった。
「クモの糸」は、種類によっては最も頑強な繊維と思われている防弾チョッキに使われるアラミド繊維の7倍のタフネスがある。石油燃料の枯渇が懸念される中、自動車や航空機などの輸送機器の代替素材として、またタンパク質素材であるため、医療分野では人工血管や縫合糸としての活用も期待される。しかし、蜘蛛は蚕と異なり、縄張り意識が高く共食いの性質があるので、家畜化は難しい。人工生成の技術開発は米軍をはじめ世界で試みられていたが、量産が困難で、事業化に成功した例は未だない。
「調べてみると、クモの糸と一言で言っても、非常に多様なことが分かりました。一匹の蜘蛛が、用途によって何種類もの糸を使い分ける。蜘蛛の種類によっても違う。それが何万種類も存在するのです」。伸縮性、強度、それらはすべてアミノ酸の配列によって決定される。「これをコントロールできれば、自分たちの研究のプラットフォームは、タンパク質全体に生かせるかもしれない」。可能性はどんどん広がっていった。
研究開始3年後の07年、一本のクモの糸の生成に成功した関山は、大学院を中退し、高校の同級生、大学の研究仲間と共に事業化に踏み切る。
「普及」しなければ意味がない
着ていることを忘れるような軽くてしなやかな防護服、発電効率のよい風車、次世代の宇宙服……。関山の語るスケールは大きい。その第一歩として関山らは、人工クモ糸繊維の実用化を、世界初、最速で実現させた。2015年10月、ゴールドウインとの事業提携を発表、同社からの30億円の出資を含む約96億円の第三者割当増資を発表。人工クモ糸の合成繊維「QMONOS(TM)」を表地に使用したアウターウェア「MOON PARKA」(写真着用)を共同開発、2016年の商品化を予定している。
なぜ、可能だったのか。研究開始当初から、関山らの最重要事案は「コスト」だった。「どんないい素材を作っても『コスト』が障壁で普及できない。安く作れれば、パンツでも絨毯でも作れる。高ければ、特殊な用途にしか使えない」。人工的にクモの糸を作り出す方法は様々にあるが、関山らは、唯一大量生産が可能な、クモの糸の遺伝子を微生物に組み込み、培養する方法に絞って研究開発を進めた。
そして、もう一つのコア技術は「遺伝子を設計し、評価し、また設計にフィードバックする、一連のサイクルを自社で完結できる環境を整えたこと」だ。「強くて、しなやかな」クモ糸の性質を満たす遺伝子の法則を分析し、その一定のルールを守りながら、微生物にとって最も高効率に作れるアミノ酸の配列、遺伝子の設計を行う。関山自身のバックグラウンドであるバイオインフォマティクスを駆使し、様々な仮説に基づき新設計した遺伝子を化学的に全合成する。これにより、4,500倍の高効率化を実現した。このサイクルには、遺伝子工学、DNAの化学合成、発酵技術、精製技術、繊維化するための紡糸技術が必要。「1つの研究室では到底完結できない、分野横断的な研究体制が求められます」。そのための資金、有能な人材が今、世界から山形に集まっている。
「昔から、もっと人の考え方が変わったら、よい世の中になるのではないかと思っていました」。高校の授業でルワンダの内戦の映像を見て、その悲惨さにショックを受けた。誰かがアクションを起こさなければ、資源、利権の奪い合い、戦争、テロ、格差はなくならない。人類の進歩を考えて行動できるのは、恵まれた環境にいる自分たちではないのか。それが、自らの存在意義なのではないか。
関山が創業当初より目標として見据えるのは輸送機器への活用だ。例えば、ぶつかっても衝撃を吸収して歩行者にけがをさせない車。「自動車の設計から在り方まで、全てを変えられる可能性を秘めています」。12年よりトヨタ自動車系の大手自動車部品メーカー、小島プレス工業と提携、2015年5月には大規模な人工クモ糸繊維の試作プラントの稼働を開始した。
「人類にとって価値あることを最大化する、それが事業成長への近道ではないか」。関山らの挑戦はまだ始まったばかりだ。
せきやま・かずひで◎1983年、東京都生まれ。2001年慶應義塾大学環境情報学部に進学。同年9月より先端バイオ研究室である冨田勝研究室に所属。04年よりクモ糸人工合成の研究を開始。07年スパイバー設立。