VANSの半世紀は、順風満帆ではなかった。「波乱に満ちた日々だった」とVANSの社長Kevin Bailey(54)は語った。取材に応じた彼の足元は、レインボーカラーのチェック模様のスニーカーだった。
VANS は上場企業の大手アパレルメーカー、VFコーポレーション傘下にある。VFは他にもザ・ノース・フェイスやラングラー、ティンバーランドといったブランドを傘下に収めている。2004年にVFがVANSを3億7,000万ドル(約450億円)で買収した当時、VANSも株式公開をしていたが、業績は悪化の一途を辿っていた。
○多角化戦略に失敗
毎年40億円の赤字を出した10年間1993年から2003年にかけては赤字続きで、年間3,000万ドル(約40億円)の損失を出していた。VANSはブランドが誤った方向にビジネスを拡大してしまった良い例だった。ドキュメンタリー映画制作からスケートボードパークまで手を広げたが、どれも同社の靴の売上アップには貢献しなかった。1982年の映画『初体験/リッジモント・ハイ』では俳優のショーン・ペンがチェック柄のVANSのスニーカーを履いたが、同社の栄光ははるか遠い昔の出来事になりつつあった。
VANSを傘下に収めたVFはVANSのビジネスに優先順位を付け、店舗数を増やし、マネージメントを強化した。2002年から2007年にVANSの店舗を運営していたBaileyは、ジーンズで有名なLucky Brand にしばらく出向していたが、2009年にVANSへ呼び戻された。彼は素早く新たな市場(米国東海岸やアジア地域)を開拓し、より軽量な靴や、東海岸の寒さと雨に配慮した暖かい靴をデザインするなど、製品ラインの見直しを行った。
創業49年のVANSは今年23億ドル(約2,800億円)の売上が見込まれる。これは昨年から約20億ドル(約2,500億円)の増加で、VF傘下の企業としては最も成長著しいブランドということになる。同業のスケッチャーズを比較対象にVANSの企業価値を見積もると、約30億ドル(約3,700億円)となる。これは、VFが買収時に支払った額の7.5倍だ。VFが買収する前からVANSを追っていた投資銀行のアナリストは、この事実に驚きを隠せない。「当時、もし誰かにVANSは売上20億ドルのビジネスになると言われても、冗談だろ! と言ったと思います」
買収前のVANSは本業以外にかなり手を広げていた。1990年代後半から2000年代初頭にかけ、同社は全米に12のスケートボードパークをチェーン展開し、パンク・ロックの祭典ワープド・ツアーに520万ドル(約6億4,000万円)を出資した。また、「VANS Triple Crown」というシリーズ番組を立ち上げ、エクストリームスポーツの番組を大量にオンエアした。
VFに買収される直前の2003年、スケートボードパークビジネスは縮小し、同社は約2,000万ドル(約25億円)の特別損失を計上した。成功したビジネスは、唯一ワープド・ツアーだけだった。
○本業の靴に注力し、奇跡のV字回復
収益の上がらないビジネスに無駄な金を費やす代わりに、VFはVANSの本業にもう一度照準を合わせ、中核製品である靴を改良した。ここ5年間、同社は新製品を次々と発表しており、そのデザインは従来の魅力をしっかりと保っている。
そして、靴に留まらず、 VANSはブランドの成功をあらゆるアパレル製品に応用できると見た。そこで、同社は親会社VFの専門知識と流通販売網を活用し、今度は正しい方向へとビジネスを拡大して行った。2003年には実質ゼロだったVANSのアパレル部門の売上は、今や4億ドル(約490億円)に上る。
充実した品揃えこそ、VANSが地元カリフォルニアから全米に進出するために必要なことだった。2011年、VANSはマンハッタン第1号店をオープンし、続いてその郊外地域、そして近隣の州へと拡大して行った。今では全米に359店舗を展開。その多くで、壁のシューラックは減らし、ディスプレイ用のテーブルを多く設け、セール品は一部の製品に限定した。
続いて同社はアジアに注目した。2003年のアジアでの売上は微々たるものだったが、今では売上全体の10%を占めている。中でも中国は特に成長が見込まれる市場だ。VANSのアイテムは最先端のファッションだというイメージが定着し、「Big Brother VANS」というニックネームで呼ばれるようになった。この呼び名は、欧米人には(Big Brotherは独裁者という意味もあるため)少々不吉に聞こえるが、「彼らの言うBig Brotherとは、何がクールか教えてくれる、頼れる兄貴のような存在なのです」とVANSのBailey社長は語ってくれた。