近年、メディアビジネスを取り巻く環境は厳しさを増す。不況に加え、無料のオンライン記事があふれる状況では、大手すら苦戦を強いられている。1世紀半の歴史があったSeattle Post-Intelligencerはオンライン事業に特化し、2010年にはWashington PostがNewsweekを1ドルで売却した。
新メディア時代において、全米をカバーする新聞としてはThe New York Times とWashington Postがあるが、中規模の地方紙や週刊誌の多くは廃業においこまれた。そんななか、超地元志向の紙媒体メディアが生き残り、少しずつ成長している。モス氏が経営するLightningは年間45ドルの購読料や広告収入で12%から14%の粗利率だ。
額にすると300,000ドル(3,600万円)近くにのぼる。「田舎や地方で発行される紙媒体メディアの景気は良くなっていっている」と話すのは、全米新聞協会のマックス・ヒース氏だ。
ニューヨークでは、主要なフリーペーパー4紙を合わせると発行部数が60,000部にのぼり、利益率は20%と高収益をたたきだす。「地元紙はすぐに儲かるビジネスではないけれど、続けていれば収益が出る素晴らしいビジネスだ」と言うのは2013年に地元市のメディアを買収したジャンヌ・ストラウス氏だ。週間紙は別荘を買うのと同程度の資金で買収可能だ。新しいメディアを一から築き上げることを考えればリスクも少なくて済む。
モス氏は試行錯誤を重ねながら学んだ。ノースカロライナ大学でジャーナリズムを専攻し1976年に卒業、Marshville Home のレポーターとしてキャリアをスタートした。しかし、競合メディアが多く撤退。その後モス紙はThomasville Times、St. Petersburg Times などで働いた。
1998年にNew York Times の地方新聞グループから声がかかり日刊のHendersonville Times News の編集者となった。しかし12年後、不況のあおりを受けてモス氏は解雇された。収入源を得るため、南東地域の「破産寸前の新聞社を立て直す」コンサルタントとしての仕事を始めた。人々は次々に、「ビル(モス氏)、新聞をなんとか良くしてくれよ」と頼んできたが、モス氏は一体自分に何ができるかはっきりした答えが見つけられずにいた。
そんな中、ある友人が言った。「それなら自分で始めたらどう?」モス氏はそのアイデアが気に入った。自分は記事を書けるし、編集もできる、写真も撮れる。それに、新聞発行にかかるコストについても知識がある。ただ、投資者を募った経験はない。そこでモス氏は2週間コミュニティカレッジに通い「ビジネスプランの書き方」というコースを履修した。
2012年の初め頃、モス氏は書き上げたビジネスプランを20部コピーし投資者を探した。結果、9人の投資家から70,000ドル(854万円)の資金を得た。それに自己資金50,000ドル(610万円)を付け足してスタートラインに立った。それらの資金は、フリーランスの記者と、フルタイムのデザイナー、広告ディレクター、アルバイトの配達要員、発行者兼編集者として自分自身を雇用し、更にはトレーラーハウスのオフィスをリースするのにも十分足りた。一度聞いたら忘れないようなインパクトのある新聞名にしようと熟考の末、”Lightning”に決めた。
2012年5月9日に、40ページで第一号を発売した。モス氏はすぐに1,150部の購読者を得て無料のウェブサイトも立ち上げた。地元に特化した結果、1ページ分の広告費は500ドル、その他25ワードにつき8ドルの広告費を請求できるまでになった。モス氏は年収60,000ドル(732万円)に加えて、60%の経営権に付随する収入があり、今年の売り上げは300,000ドル(3,660万円)を見込んでいる。
メディアを取り巻く環境は2008年以降一変し様相は厳しさを増した。フリーランスの記者が短い記事を投稿するスタイルなど、新しい試みもあったが、成功例は少数だ。「現場に行ってたくさんの人に会わないとだめだ」と話すのは、Wall Street Journal のベテランで現在は他誌の編集者を務めるカイル・ポープ氏だ。「話題になっている人々のツイッターを読んで何かストーリーを書く、っていうのは論外だ。だってそれはオンラインのアウトレットみたいなものだから。」
もし自分が持っている財産の一部でもよいから投資して、人生に対する満足感ややりがいを得たいと思っている人にとっては、地元紙の買収や経営は良いビジネスだと言える。とりわけ、お金だけが人生の目標ではないという人にとっては、レストランやアンティークショップを経営するよりも魅力的にうつるだろう。
モス氏は最後にこう言った。「もし倒産するなら、それはそのときだ。なにより、人に何かを伝えることが私にとって一番意味のあることなんだ。毎朝そんなことを考えながら目が覚めるんだよ」。