消費行動に伴い気づかざるを得ぬ物価の上昇や「ステルス値上げ」の先行き、そしてともなう給与問題が誰の胸にも日々去来する昨今、読みなおしたい書籍がある。東京大学大学院経済学研究科教授(ハーバード大学Ph.D.)渡辺努氏による『物価とは何か 』(2022年、講談社選書メチエ 758) だ。
帯に踊るのは「日銀や政府は何をしているのか? なぜこんなにも日本は貧しくなったのか? デフレもインフレもない社会は可能なのか? ——本当に必要な経済学がここにある!」の文字だ。
本書から以下、「インフレやデフレ(激しいデフレ)が私たちの生活にどんな悪影響を及ぼすのか*」について書かれた箇所を抜粋転載して紹介する。
※「#くいもんみんな小さくなってませんか日本」
この超難問* を考えるきっかけは、SNSで「#くいもんみんな小さくなってませんか日本」という話題が盛り上がったことでした。
※私がこのハッシュタグ(SNS上で話題のテーマを示す見出しのようなもの)を学生に教えてもらったのは、2017年秋ごろのことでした。試しにこのハッシュタグで検索してみると、さまざまな商品のサイズが小さくなっていることが、たしかに話題になっていました。クッキーのグラム数が減る、牛乳のリットルが減る、果ては中華料理の具が小さくなったといった話題まで投稿されています。なじみの商品を久しぶりに手にとった消費者が「あれ、小さくなってるじゃないか」と気づき、その怒りのやり場として投稿しているということのようです。
小さくなったとしても、サイズに比例して値段も安くなっていればさほど問題にはなりません。ですが、実際に起こっているのは、小型化・減量されているにもかかわらず値段は据え置きです。値段が変わらずにサイズが小さくなるのは実質的な値上げですから、こんなことをこっそりやりやがってという怒りをかっているのでしょう。こっそりと値上げしているという意味で、ステルス値上げとよばれることもあります。
実例をみてみましょう。図4-15は、品目「マーガリン」に属する3つの商品(A、B、C)の価格と販売数量を示しています。これらの商品は同一企業により生産され、同一商品名と同一ブランド名で販売されました。ところが、マーガリンAの重量は450グラム、マーガリンBは400グラム、マーガリンCは360グラムというように、重量が徐々に減っていっています。
図には、この3商品の店頭での販売価格と販売数量が示してあります。販売数量をみると、2007年9月にマーガリンBが発売された後、マーガリンAの販売数量が急激にゼロまで落ち込んだことがわかります。これは、マーガリンBがマーガリンAの後継商品であることを意味しています。この世代交代にともなって重量が450グラムから400グラムへと削減されたわけです。
※世代交代にともなう販売数量の変化は、マーガリンB(400グラム)からマーガリンC(360グラム)への交代でも起こっています。一方、販売価格をみると、このように重量の削減をともなう世代交代が進む中で、価格は全期間を通じてあまり変化しておらず、どちらかと言えばわずかながら上昇しています。この事例では、実質値上げをしても客離れはなく、成功しているようにみえます。
総務省統計局で消費者物価指数の作成に携わっている若手研究者と共同して、こうした事例がどのくらいあるのか数えてみました。
具体的には、約300のスーパーマーケットの店舗で扱われている約30万の商品(バーコードで定義された商品)の中から、重さや容量のわかるものを抽出します。商品の名称と製造企業名、それにその商品の参入時点と退出時点の情報を用いて、マーガリンの例のような、世代交代の事例を収集します。
その際に注意が必要なのは、商品の減量は実質値上げ以外の理由でも生じ得るということです。たとえば、近年は、高齢化や家族人数の減少などを反映して、小さいサイズの商品へと消費者の需要がシフトしています。この需要シフトに企業が対応するかたちで小型化を進めた場合は、容量・重量が減少したとしても、それはむしろ消費者の満足度を高めるもので、実質値上げを意図するものではありません。